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逆転のPL

最近、事業の一環として、あるプロジェクトについて考えています。これからちょくちょくあるテーマについて、拙い文章なのですが、UPしていこうと考えています。お時間を頂戴することになるかもしれませんが、もしよろしければ一読くださり、ご批判等をいただければ幸いに存じます。よろしくお願いします。三代

逆転のPL

 

 私は、家族から呆れられてしまうほど、高校野球が好きでした。毎年夏そして春になるとテレビの前で釘づけになりながら、高校野球を夢中になって見ていました。私がなぜ高校野球に夢中になったのか、その理由をはっきりと覚えています。1978年の夏の甲子園大会は、PL学園が準決勝、決勝と2試合連続で大逆転を演じて優勝を果たした大会でした。“逆転のPL”(Wikipediaより)として今でも語り継がれている大会です。当時私は10歳でした。

 

 それ以前の私は、野球好きの一家の中で高校野球が特別嫌いだったわけではなかっただろうとは思いますが、そうかと言って取り立てて好きというわけでもなかったと思います。高校野球を見ていた家族と一緒に、何気なく準決勝の対中京高校との試合を見ていた私は、9回裏に追いつき、延長で逆転勝ちしたPL学園の試合にすっかり興奮してしまっていました。奇跡や神といったことを感じさせる、一種異様な興奮を感じたことを覚えています。その勢いで、当然決勝戦も見ることになりました。決勝戦は、真っ白なユニホームのPL学園とは対照的に、試合前から泥だらけのユニホームが印象的だった高知商との対戦でした。

 

 PL学園のピッチャーは、西田投手(卒業後、法政大学に進学し、広島東洋カープに入団)でした。高知商業との決勝戦で、ピンチになると自分の頬を自分の拳で殴りつけ、気合を入れながら熱投している西田選手の姿に感動しました。解説者は最初、西田投手がぶつぶつと文句を言っていると勘違いして、「高校生らしくない」などと言っていたのですが、実際には自分の拳で自分の頬を殴りつけて気合を入れながら熱投していたのです。高知商業との決勝戦でも、準決勝の時と同じように、神がかった逆転劇を演じ、準決勝のとき以上の、さらに異様な興奮を味わうことになりました。小学生ながらすっかり高校野球に夢中になってしまい、それ以後、毎年夏と春になると、高校野球ノートを作って、テレビの前に釘付けになりながら、スコアをノートにつけていったものでした。私自身は甲子園でプレーしたいとは決して思わなかったのですが、高校生が野球をしているのをテレビの前で夢中になって見ていたものでした。

 

 小学生時代には、家族も呆れるぐらいの高校野球好きだったのですが、50歳を過ぎた現在、高校野球をみることはほとんどありません。今から40年近く前の当時、UHFで放送されていた東京六大学野球の試合のなかで、法政大学に進学した西田投手が神宮球場で投げているのを探したことがあります。西田投手が神宮球場で投げているところを見てみたかったのです。法政大学に進学してから野手に転向してしまっていたことを、子供ながら残念に思っていました。法政を卒業後、広島東洋カープに入団した西田選手は、主に代打の切り札として活躍していました。家族の影響で私も巨人ファンではありましたが、広島カープとの試合で、代打で登場してくる西田選手のことはいつも個人的に応援していたものです。

 

 甲子園で活躍している選手の姿は輝かしいばかりですが、しかしその裏側で球児は、過酷な環境で、しかも体を酷使しながらプレーしているという現実に、小学生だった頃の私はなかなか気付くことはできませんでした。今は甲子園でプレーをしている選手を見ても、応援する気には正直なれません。体を壊さないようにと祈るばかりです。