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親元を離れ寮生活

親元を離れ寮生活

 

 私が進学したT高校は隣の県にあります。東京の実家から通えないこともなかったのですが、そうかと言って毎日通うには少し遠いところにありました。35年以上前のことなので、はっきりと覚えていないことも多いのですが、最初は多分、母親の実家から通わせてもらうつもりでいたのではなかったかと思います。母親の実家は、高校と同じ県ではありましたが、そうかと言って時間的に東京の実家とたいして違わないところにあったので、越境するメリットはあまりなかっただろうと思います。でも、願書を取り寄せたりする中で、T高校には寮があることがわかりました。これなら通学時間を気にする必要もありません。というわけで、高校に入学するとともに、親の元を離れて寮生活をすることになりました。

 

 とても厳しかった親の元を離れることができ、その解放感に私は自分を見失ってしまいました。人付き合いが苦手であり、社会性もあまりなかった自分にとって、寮生活など向いていないのは、今から思えば明らかなことだっただろうと思います。ここしかないと思えるほど、行きたくてしょうがなかった高校に入学することができたのですが、家から通わず、しかも寮生活をしなければならなかったという時点で、この高校を選んだことは多分失敗だったのだろうと思います。結局、1年ももたずに退寮することになりますが、その後高校を中退してしまうことになろうとは、この時にはまだ思ってもいませんでした。

 

 基本的に人付き合いが苦手であり、社会性もあまりない自分なので、先輩後輩といった上下関係やクラスメイトとの団体生活を強いられる寮生活は、最初の頃は厳しい親から離れて暮らすことの解放感もありましたが、だんだんと苦しいものになっていきました。特に、寮生は運動部に所属しなければならなかったこともあり、私にとっては、団体生活の苦しい側面がさらに強調されることになってしまいました。私にはスポーツマンであった兄がいたこともあり、自分はスポーツをすることにあまり興味がありませんでした。何かにつけ兄と比較されることになるので、運動をすることはむしろ嫌いでした。スポーツなど全くすることなく、中学生の頃は勉強ばかりしていたので、実際に運動能力もあまりなかったと思います。でも剣道をしていた兄の影響で、小学生の時に親の勧めで剣道をしていたことがありました。地元の道場に通っていたのですが、兄と同じ道場であり、進級の速さの違い(兄は飛び級でどんどんと昇級していきましたが、私は試験のたびに1級ずつしか昇級できませんでした)など、兄との違いを嫌でも感じることになったので、実際には、辞めたくて辞めたくて仕方がありませんでした。剣道に対して、そんな程度の関わりしかなかったのですが、でも、寮で運動部に入らなければならないという時に、小学生の時にやったことがあるからといった軽い気持ちで剣道部を選んでしまったのです。厳しい部だからやめておけとクラスメイトみんなから散々言われたのですが、よりによって剣道部に入部してしまいました。やっぱりやめておけばよかったと思います。