苦しかった高校生活
夏休みの合宿は、運動部に所属していた高校生にとって、汗の輝く眩しい思い出になるのだろうと思います。でも私にとっては、そうはなりませんでした。夏休みの間ずっと実家に帰り、剣道部の夏休み合宿にも参加しなかったのではなかったかと思います(暑い中稽古をして、クタクタになって寮のベッドで横になっていた記憶もあるのですが、それが夏合宿の時の記憶かどうかわかりません)。高校運動部の一大イベントである夏合宿に参加しなかったとなると、先輩たちからは相手にしてもらえなくなるので、もう剣道部を辞めざるを得なくなります。そうなってしまうと、運動部に所属していなければならない寮にもとどまることができず、半年足らずで退寮することになってしまいました。負の連鎖です。どうやって剣道部をやめることになったのか、どうやって退寮することになったのか、そこら辺りの時間的なつながりや、細かな理由についてはもう思い出せません。剣道部の顧問や寮の先生たち(みんな体育会系のゴッツイ先生ばかりでした)と多分話をしているはずなのですが、どういう話をしたのか、残念ながら全く覚えていません。学生時代に剣道をやっていて、年齢も若く、私たちの話にも良く耳を貸してくれた当時のクラスの担任に相談した気もするのですが、どうだったでしょうか。ただ、私以外にも何人か退寮するクラスメイトがいたように思います。なので、退寮するという選択肢を具体的な形で私も考えることができたのではなかったかと思います。退寮するということが寮生の間で一つのムーブメントになっていたように思います。みんな寮から出たがっていたのだろうと思います。
私の兄は4年間、大学の寮で生活していました。大学生にもなれば、寮での生活もまた違ったものなのかもしれませんが、高校生にとっての寮生活は、人付き合いも苦手で社会性のない自分にとっては、後味の悪いものとなってしまいました。寮の中での先輩後輩の関係やクラスメイトとの関係、剣道部という体育会系の部活、そして、今でこそ体罰は問題になることも多いのでしょうが、生徒指導と称して当時は当たり前のように生徒は横っ面を張られたりしていた学校の生活もつまらなかったです。3年生の4月に学校を辞めることになりますが、多分、自分には卒業まで通い続けることは無理だったのだろうと思います。
今のT高校がどうなっているのか正直わかりませんが、当時の学校側の生徒の管理は厳しかったと思います。自分が通っていた学校が甲子園優勝校、常連校だったということも、その一つの要因だったのだろうと思います。同じ学校の野球部以外の生徒が不祥事を起こしたことによって、例えば甲子園出場を辞退するということは実際には多分ないのではないかと思いますが、甲子園常連校であるがゆえに、他の学校以上に不祥事を恐れる学校側の体質というのは、想像するに難くはありません。甲子園出場が決まると、不祥事を伝える内部告発や、他の学校関係者による粗探しが始まるということは、よく聞く話です。小学生や中学生の頃は、甲子園優勝校という輝かしい側面にばかり目がいってしまっていましたが、現実の問題として、甲子園の常連校であるがゆえに、他の学校以上に生徒の不祥事にセンシティブである(と推測される)学校側の体質のことまでは、中学生だった自分にはなかなか見抜けませんでした。まあ、50歳を過ぎた今だから言えることなのだろうと思います。柔道部などの体育科の教師が、生徒指導と称して生徒の横っ面をよく平手で打っていましたが、堪え難いものがありました。生徒の横っ面を張っていた体育科の教師の多くは、筑波大学の体育専門学群卒ということもあり、筑波大学にだけは進学すまいと高校生の自分は思っていたものです。のちに筑波大学の大学院に進学することになるとは、この時これっぽっちも思っていませんでした。