大学入試に向かって
高校を辞める時に、必ず大学に入学するからと両親や先生、クラスメイトたちの前で大見えを切ってしまった以上、大検には絶対に落ちることはできないと思って勉強していたと思います。大検絶対合格のプレッシャーから、試験がある夏までは大検の準備に集中せざるをえなかったと思います。それで無事に大検に合格することができたのですが、あくまでも大検は通過点でしかありません。当然のことながら、大学入試が私たちにとっての本番なわけです。本格的に大学受験の準備をすることができるようになったのは、大検の試験結果が送られてきた秋を過ぎてからになってしまいました。平たく言えば、大検は高校を卒業できるだけの学力を備えているかどうかをみる試験です。いわば、高校の通常の定期テストで落第しない程度の学力の確認ということもでき、とても基礎的な問題が出されていたと記憶しています。大検と大学の入学試験はそもそも性格を異にするものであり、大検で出される問題の内容は、大学入試に出されるような試験問題の内容とは大きく異なっていると考えてもらっていいと思います。しかし、大検に合格しなければ、そもそも大学を受験することすらできないのです。こんなことを言ってもしょうがないのですが、大検には絶対合格しなければならないというプレッシャーのために、試験が行われる夏までは大検にしか目を向けることができなかったのは、その後の大学入試のことを考えると痛かったと思います。
将来自分が何になりたいかや何をしたいかということは、中学生の頃には漠然と考えていたと思います。私は子供の頃、祖父母にとてもかわいがってもらってきたのですが、大好きだった祖父が病院で寝たきりとなってしまったこともあり、医者になりたいと思っていました。その祖父は残念ながら、中学1年の時に亡くなってしまいましたが、医者になろうという希望は以後も持ち続けていました。しかし高校に入学し、さらに、厳しかった親の元を離れて寮に入ったために、その解放感から自分を見失い、すっかり落ちこぼれてしまっていました。学校の勉強についていくことができず、英語、数学、古文、漢文、世界史、物理など、ほとんどすべての教科と言っていいくらいに、全くわからなくなってしまっていました。授業には全くついていけず、わからないのと眠いのとで、授業はほとんど眠っていました。
私が通っていたT高校は、昔は理数科があったくらいなので、生徒の学力に応じた到達度別のクラス編成がされていました(今はどうなっているか全くわかりません)。英語や古文、漢文の文系科目を中心とする英系のクラスと、数学や理科の科目を中心とする数系のクラスそれぞれについて、能力別、到達度別のクラス編成がなされていました。過去の栄光というにはあまりにも拙い栄光ですが、私は高校入学時には英系、数系ともに一番上のクラスα1とα1でした。多少誇りをもって、両方とも一番上のクラスであることを、アルワン、アルワンなどと、ちょっとだけ省略しながら言っていました。しかしながら、全く勉強しなかったので、中間・期末の定期テストをうけるたびに、クラスが一つずつ落ちていきました。一番下のクラスは英系、数系ともにγ(ガンマ)であり、両方とも一番下のクラスにいると、ガンガンなどと少し絶望的な呼ばれ方をされることになってしまいます。寮から実家に戻り、なんとか一番下のクラスまで落ちてしまうことは回避できましたが、高校の最初のところでのつまずきは、最後まで響いてしまったと思います。
親をはじめ、私の家族の中に医者はいません。親が医者であれば、私立大学の医学部という選択肢もあっただろうとは思いますが、そうではなかったため、医学部の莫大な学費の問題から、私が医者になりたければ国立大学の医学部を目指すより道はありませんでした。しかし、たいていの国立大学の医学部は、入試科目として英語と数学が必須であり、高校に入学した当初から落ちこぼれて絶望的な成績であった私には、医者になることを諦めざるを得ない状況になってしまっていました。というのは、医者になるためには大学の医学部に入学しなければならず、当時の英語と数学の成績では医学部に合格することは困難だったためです。
医学部を諦め、では新たに何学部を目指したらいいのかを考えなければなりません。まだ高校に通っていた時には、到達度別の中間・期末の定期テストとは別に、校内一斉の統一順位が出される学力試験や業者の模擬試験などがあったため、志望校をある程度考えていなければなりませんでした。いまから振り返るとなんでだろうと思うのですが、当時、次のオプションとして、迷うことなく農学部を選択したと思います。もともと医者を目指していたので、生物学系の進路の方向性を思い描いていただろうとは思いますが、理学部の生物という選択肢はほとんど考えていなかったと思います。もちろん、大学入試の難易度のこともあったとは思いますが、それとともに、恐らく自分の性向として、医学をはじめとする応用分野により目が向いていたのだろうと思います。