入試本番
このように、高校に行っていたときに、数学、英語、国語がすっかり置いて行かれてしまっていました。特に、古文、漢文は何度も赤点(落第点)だった記憶があります。全然勉強しなかったので、しょうがないと思います。当然の結果でした。その一方で、理科の化学だけは得意でした。赤点とは反対に、赤丸(優良点)を何度かもらったことがあり、当時、ホームルームの担任だった先生から褒められたことを覚えています。通知表は、赤点と赤丸でさぞかしカラフルだったことだろうと思いますが、残念ながら現在手元に残ってはいません。
生命科学が大流行りの現在とは異なり、当時は生物系、農学系の学部は私立大学にはあまりなく、理学部、理工学部に生物科学科がある私立大学はほとんどありませんでした。例えば、有名私立大学のW大学で生物の勉強をしたければ、教育学部の生物科にいくことぐらいしか選択肢はなかったと記憶しています。なので、実質的に、農学や生命科学を勉強したければ、国立大学を目指さなければなりませんでした。
私よりも3歳年上の兄の時代には、国公立大学を受験するには、共通一次試験を受けなければならず、その試験の結果(自己採点)によって出願する大学を決定し、2次試験を受けることになっていたのではなかったかと思います。2次試験で受けることができたのは1校だけでした。しかし私たちの代から、国公立大学の2校受験が可能になり、東大と京大をダブルで受験するという、先輩たちの多くが夢見ていたようなことが可能になった年でした。高校を中退したばかりの最初のうちは、ドラマの影響で、高校を中退したからには東大に行くというルートを思い描いていましたが、現実の問題として、高校の授業を受けていた時からすでに落ちこぼれてしまっていたので、この路線はすぐに諦めてしまっていました。理系でありながら、数学と英語がかなり足を引っ張ってしまっていたので、受験できる国立の大学をなかなか見つけることができませんでした。私が得意としていた化学だけで合格できる可能性がある国立の大学はないだろうか? そんな都合の良いことを考えながら新聞に出ていた国公立大学の募集要項一覧を眺めていたところ、千葉大学園芸学部に環境緑地学科という学科があることを知りました。名前だけをみれば、砂漠の緑化に興味があった自分にとって、うってつけの大学なのではないか、と思いました。しかも2次試験の科目は、化学(理科4科目のうちから1科目選択)と数学だけであり、数学も代数・基礎解析だけ受ければよく、英語が試験科目には入っていませんでした。数学と英語が苦手となってしまっていた自分にとって、もうここしかないという気持ちで、2つのうちの1つは千葉大学園芸学部環境緑地学科を受験することにしました。
もう1つの大学として京都大学の農学部を受験しました。千葉大学の場合には出願時に学科を1つだけに絞らなければなりませんでしたが、京大農学部の場合には、願書を提出する段階で、第3希望ぐらいまで学科を選択することができたと思います。千葉大の場合のように、砂漠緑化を連想させる名前の学科はなかったのですが、砂漠緑化とのつながりで、灌漑などを勉強できればと思い、はっきりとは覚えていませんが、農業土木や農業生産といったような学科を選択したように思います。京大の場合には、当然、苦手としていた数学や英語も必須の試験科目でしたが、京都大学には漠然とした憧れがあったと思います。もちろん、それだけのために受験したかったわけではありませんが、私たちが学生だった頃の京大を象徴する一つの事象として、当時京大のアメフト部が社会人チームを破ったりして、ちょっとしたブームになっていたりしました。高校のクラスメイトの多くが京大に進学していたこともあり、彼らが正月に京都から実家に戻ってきているときに、国立競技場で行われた京大アメフト部の試合を、一緒に見に連れて行ってもらったことがありました。京大を応援しているクラスメイトのことを、内心うらやましく思ったものです。
本格的な大学入試の準備は、大検の試験の結果がわかった後の、一般の高校生であれば3年の秋から始めることになりました。京大の入試には、先ほども述べましたが、苦手としていた英語や数学、国語があったのですが、高3の秋からの準備では全く歯が立たちませんでした。受験のために京都に向かうときに、一夜漬けするつもりで鞄が参考書で一杯になってしまいました。不吉なことに、京都に宿泊していた晩に、背負っていたリュックを下にして崖から転落する夢をみたのでした。荷物がよっぽど重たかったのだろうと思いますが、とても縁起の悪い夢を見たものだと、とても暗い嫌な気持ちになりました。しかしこの夢は正夢でした。結果はわかっていましたが、京大から送られてきた電報を開け、自分の受験番号を探しているときには手が震え、見つけられなかったときにはとてもがっかりしました。結果はとても残念でしたが、同時に、全く歯が立たず、準備不足を痛感しました。
京大の入試ではうまくいかず落ち込みましたが、全く歯が立たなかったことでかえって開き直ることができたのではないかと思います。試験が終わった時点で京大はもうダメだと思っていたので、千葉大の時にはここしかないとかえって集中することができ、気分をうまく切り替えることができたと思います。千葉大は、京大のときのように受験科目が多くはなかったので、得意だった化学に全力を集中し、化学で満点を取るつもりで勉強してきました。その分、数学はそこそこ取れればいいという、得意だった化学に重きを置く戦略をとっていました。この戦略が功を奏したようで、なんとか合格することができました。受験科目が少なくてラッキーだったと思います。
なぜ読む気になったのかは今ではよく思い出せませんが、タイムリーなときに『砂漠化する地球』という本を読んで砂漠緑化に興味を持ち、そんな時に砂漠緑化を連想させる千葉大学園芸学部環境緑地学科に出会えたのはラッキーだったと思います。高校を中退したときには、人生の終わりなどと決して思いはしませんでしたが、それでも、大検にしろ、大学受験にしろ、落っこちたら後がないような、切羽詰まったような緊張した日々だったと思います。大学に合格することができて、中退した高校のクラスメイトと同じ土俵にまた戻ることができ、やっと安心することができたのだろうと思います。そして何よりも、高校を中退してから一言も口をきいていなかった父親に大学合格を報告することができ、両親を安心させることができて自分自身よかったと思います。
大学で砂漠の緑化について勉強するという新たな希望を胸に、次のステップに進みました。