これから、ちょっと余裕を持って、ゆっくりとやっていこうと思います。もしお時間がございましたら、お付き合いください。よろしくお願いします。三代
下宿生活
私が入学した千葉大学は、医学部や園芸学部などの一部の学部を除くほとんどの学部が西千葉地区(総武線西千葉駅)にあります。大学のシステムも、今ではすっかりと変わってしまっているとは思いますが、私が通っていた当時、大学の1、2年の間は一般教養課程であり、主に西千葉で授業を受けていました。園芸学部の場合、専門課程は2年から始まり、週の半分は西千葉で一般教養課程、あとの半分は専門課程で、千葉県松戸市にある園芸学部の校舎で主に行われることになっていました。必要な単位を落としてさえいなければ、一般に、3年からは専門課程のみとなり、松戸の校舎が主な活動の拠点となります。なので、親元を離れて下宿しなければならない園芸学部の学生は、一般教養課程がある1、2年の2年間は西千葉で下宿し、3年からは松戸周辺に引っ越しをする学生が多かっただろうと思います。私もそうした学生の一人でした。
前にも書きましたが、私は高校1年の時に寮に入り、寮での団体生活ですっかり自分を見失い、失敗してしまいました。なので、東京の実家から離れて暮らすにあたり、大学の寮に入ることについてはまったく考えませんでした。とすると、どこかのアパートで一人暮らしをしなければならないことになります。今から30年前のあの当時であれば、貸間や貸部屋といった下宿の広告も大学の掲示板に張り出されていたように思いますが、迷うことなくアパートで一人暮らしをさせてもらいました。4畳半一間で風呂がなく、トイレも共同で、廊下も薄暗いオンボロアパートでした。家賃は月16000円だったと思います。当然のことながら冷暖房もなく、夏は扇風機だけで過ごしました。夜は窓を開けて寝るのですが、蚊が気になって夏はあまり眠れませんでした。今はもうこのオンボロアパートも跡形もなく消え去っているのではないかと思いますが、今の住宅事情からはちょっと想像できないような、とても貴重な経験をしたと思います。
18歳で大学に入学してから、以後20年近く一人暮らしをすることになるのですが、一人暮らしするときに問題になるのは、やっぱり風呂のことでした。今となっては銭湯も段々と少なくなってきて、料金も高くなってしまったようですが、当時でさえも一回の入浴料は300円近くかかっていたのではないかと思います。銭湯に毎日通う気にはならなかったので、銭湯は一週間に2回くらいとし、夏場であれば、あとは学校の体育館のシャワーを夜中に拝借したり(特に夏場は人気で、順番待ちをしたものです)、冬であれば、台所の流し台兼洗面台で髪の毛だけ洗う(もちろん給湯器などないので冷水で)というような生活をしていました。今から振り返ればちょっと考えにくいかもしれませんが、当時はみんな、多かれ少なかれ似たような生活をしていたと思います。今ならば当たり前かもしれませんが、風呂つきのアパートに住んでいた学生は、当時あまりいなかったのではないかと思います。
私は、料理をすることは嫌いではなかったので、一人用のガスコンロしかない小さな台所兼洗面所でしたが、貧相な食事ながらも自炊をしていました。一応栄養には気を付けていたつもりでしたが、それでも毎年風邪の季節になると、決まって風邪をひくようになっていました。栄養的に不十分だったところがあったのかもしれません。料理が面倒なときには大学の学食で食べたり、近くの定食屋で食べたりもしましたが、それでも、あまり外で食事をしないほうだったと思います。我が家にはあまり外食の文化がなく、夕食はいつも家族みんなで一緒に家で食べていました。大学に入学して以来20年近く一人暮らしをしてきましたが、あまり外食をせず、家で食べるように躾けられたことは、自分の健康にとって大いに役立っていると思います。
大学3年の時に松戸に引っ越して以来、西千葉の校舎に伺うことはほとんどなくなってしまいました。西千葉から引っ越しをしてからもう30年以上たってしまっているので、今現在、西千葉がどのようになっているのか、まったく想像もつきません。ですが、18歳からの2年間の西千葉での下宿生活は結構強烈な体験であり、以後20年近くにわたる私の一人暮らし生活に大きな影響をあたえることになったと思います。例えば、30代半ばにイギリスのエジンバラでアパートを借りて一人暮らしをしていたことがありましたが、アパートにはベッドも家具も何もなく、薄っぺらなマットを床に直に敷いて寝ていました。風呂はなくシャワーだけでしたが、30代半ばでこういう生活に耐えることができたのも、西千葉での一人暮らしの経験があったからだと思います。
高校の時は、親の元を離れて寮に入り失敗しました。しかし、オンボロアパートではありましたが、大学に入学したての頃の下宿での一人暮らしは、結構楽しくやっていたのではなかったかと思います。高校のときの寮での失敗は、やっぱり団体生活にうまく適応することができなかったためではないかと思います。