5月病
みんなはどのような気持ちで、もっと言ってしまえば、どのような夢や希望を抱いて大学に入学していくのでしょうか? 私は高校を中退したこともあり、大学で何を勉強したいかや何をするんだといった夢や希望を他の人よりも強く持っていたと思います。というのは、高校を中退してから一人で自宅で勉強していたこともあり、同じ学年の他の生徒たちよりも夢や希望を強く持っていないと、大学に進学するためのモチベーションを維持することができなかっただろうと思うためです。私にとっては、砂漠の緑化について勉強するということが、大学に進学する大きな理由でした。ですから、新入生オリエンテーションで学科長から浴びせられた「環境緑地学という学問は存在しない」という言葉は、私にとっては結構ショックな言葉でした。入学する前に私が抱いていた希望を果たせないかもしれないためです。先生方の説明を聞きながら、この大学で砂漠緑化のような環境問題について勉強することができるのかと、だんだん心配になったと思います。
環境緑地学科には緑地保全学や緑化樹木学といった授業科目があったので、私が希望していた砂漠緑化について勉強することも可能なようにみえました。しかし環緑の先生方が想定していたのは、公園や庭園などの緑地であり、都市の緑化や造園などが主な研究の対象だったと記憶しています。正直に申し上げれば、私はアフリカや中東の砂漠をイメージしていました。ですので、環緑で扱う緑化は、自分がイメージしていたグローバルなスケールではありませんでした。私の夢は、ちょっと膨らみすぎだったといえるかもしれません。
このように、大学に入学して早々に、それまでの自分が思い描いてきたことを、どうやらこの大学では勉強できそうもないことがわかってしまいました。5月病になったというわけではなかったとは思いますが、それでも結構ショックだったと思います。砂漠緑化を勉強できないのであれば、いったい何を勉強したらいいのか? こんなことだったら、仮面浪人をして、高校のときにあこがれていた京大に、来年再チャレンジしてみるか? 1年間こんなことを考え、迷いながら、高校の教科書を開く程度でしたが、実際に大学受験の準備も一応していました。しかし結局、京大再チャレンジは実現しませんでした。
先ほども述べましたが、私は高校を中退してからの1年間、自宅で一人で勉強してきました。そんな自分が、大学に入学し、大学で受けた講義がとても面白かったのです。人がいっぱいいる講堂で、教授が行う講義を見たり聞いたりすることがとても私には新鮮に感じました。今まで触れたこともない一般教養課程の教科にも興味を覚え、毎日サボることもなく、大学まで講義を聴きに行っていました。先生方からだけではなく、先輩方からも新入生のオリエンテーションがあり、一つ上の先輩方から、一般教養課程をどのようにやり過ごすかのレクチャーがあったと思います。そのときに、あの先生の講義は大変だからやめた方がいいとか、あの先生はレポートだけだから楽だといった情報を提供してもらったと思います。その時に厳しいという評価だった講義を、私は時間が許す限り受講したのでした。労働運動や社会運動の当事者を実際に招き、当事者本人からお話を伺う機会がたくさんあった「社会学」、パスカルの『パンセ』を一年間にわたってレクチャーされた「哲学」、マルクス経済学を学んだ「経済学」など、一般教養課程で様々な学問に触れることができました。はっきりと言ってしまえば、大学1、2年の一般教養課程で学んだことは、高校を出たばかりの自分には難しすぎてチンプンカンプンでしたが、それでも高校の時の退屈な大学受験勉強とは異なる、大学というアカデミックな雰囲気に触れることができ、学問の面白さ、未知の世界の刺激に気付かされたと思います。一般教養課程が終わる2年生までには、京大に対するあこがれもすっかりなくなっていました。このように、専門課程だけではなく、千葉大学の1、2年の時に、一般教養課程で様々な学問に触れることができたことは、私の現在にもつながる大きな経験であったと思います。
千葉大学園芸学部環境緑地学科を目指すきっかけになった本。なぜこの本を読もうと思ったのか、今でははっきりと思い出せません。しかし、この本を読まなかったならば、千葉大学を目指すことは、多分なかったと思います。高校を中退した私に、夢や希望を与えてくれた一冊だったと言えるのではないかと思います。