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卒論と研究室

卒論と研究室

 

 しかし実際には、大学4年の卒論の研究室として、私は植物病学研究室を選んだのでした。なぜこの研究室を選んだのか、今となってははっきりと思い出せません。しかし、私は木村資生の著書を読んで、分子進化に興味をもっていたので、そのことについて研究室の先生と話をしたところ、なんとか菌の分子進化的な分類について研究できるという話だったので、この研究室に決めたのではなかったかと、おぼろげながら記憶しています。3年の時の実験が面白かったので環境生物学研究室にしようかなと思っていたのですが、確か、そのようなことで植物病学研究室にしたのだと思います。

 

 しかし実際に4年になって研究室に配属されてみると、何とか菌の分子進化学的な分類について研究することはできないことが判明したのでした。卒研生の研究室選択ではよくある話なのかもしれないのですが、多分、卒研生の言うことになど、大学の先生方はまともに相手などしてくれません。卒研生の言うことに先生たちも適当に相槌を打っていただけだったのだろうと思います。何とか菌の分子進化学的な分類という研究とは程遠く、私が与えられた卒業論文のテーマは、ゴルフ場のシバの病気についての研究でした。3年の時点では環境生物学研究室とどちらにしようか迷っていたこともあったので、何とか菌の分子進化学的な分類の研究ができないことがわかった時にはショックでした。なんだかだまされたような気がして、とても不満だったのだろうと思います。

 

 大学生の時は、何だかんだと理由を作って、みんなで一緒に飲む機会が多かったと思います。私たちが4年生となり、卒研生として研究室に配属されたときにも、もちろん研究室の先生方や先輩方が、卒研生を歓迎する新歓コンパを開いてくださいました。卒論のテーマについてこのような経緯があり、研究室の先生方や先輩方に不満を持っていたためだったと思うのですが、私たち新卒研生のために開いてくださった新歓コンパで、私はこともあろうに酔っぱらってしまい、私の前に座っていた大学院生の先輩に対して、カッとしてかなり激しい口論に及んでしまったのでした。酔っぱらって殴り合いの喧嘩になることは決してありませんでしたが、それまで抱いていた不満が一気に爆発してしまったのだろうと思います。私とその大学院の先輩が大声で激しく口論しているなか、私たちの周りに座っていた先生方や先輩方、クラスメイトなどは、何も言わずただ黙って私たちのことを眺めているだけで、とても気持ち悪かったことを、酔っぱらっていたとはいえ今でもおぼろげながら覚えています。なにがきっかけで口論に及んでしまったのか、そもそも口論のテーマは何だったのか、もうまったく覚えていないのですが、とんがっている私に対して、先輩は泣きながら「お前は間違っている」と諭してくれました。私は何が間違っているのかまったく解らず、「だから何が間違ってんだか言ってみろよ」と怒鳴っても、その先輩は泣きながら「お前は間違っている」というだけで、私もイライラしてさらに大きな声で言い返すということをしばらく繰り返していたと思います。結局何が間違っていたのか、今でもわかりません。

 

 この大学院の先輩は、間違いなく、後輩思いの優しい先輩だったと思います。ナイスガイでした。でも、自分の感情を抑えることができませんでした。次の日、二日酔いの気分の悪さとともに目が覚めると、自分が昨晩演じた軽挙を思い返して涙が出てきたのではなかったかと思います。卒研生として入ったばかりのこの研究室でも、何日もたたないうちにもう先が見えてしまったことに対する自分の幼稚さと言いますか、“残念な奴さ”をかみしめていました。

 

 この研究室では、毎日3時ころになると研究室のみんなが集まってお茶会をしていました。こんなことがあったからか、もっとも自分の性格を考えると、そんなの関係ないのかもしれないのですが、このお茶会の習慣には馴染めませんでした。この研究室には、途中から来なくなってしまっていた大学院の先輩がいたと記憶しています。私は高校を中退したこともあり、その先輩に対してシンパシーを感じていたのではなかったかと思います。大学院生の先輩が途中から来なくなってしまうような、そんな研究室なのだということで、私自身この研究室にはあまりいい印象を持つことができなかったと思います。思うような研究をすることができず、鬱々とした思いを抱きながらも、一年間なんとかその研究室に所属して卒業論文を書き上げ、卒業したのでした。先生方、先輩方とぶつかってばかりで、自分の情熱というか、エネルギーをどこにもっていけばいいかわからず、いつもイライラしていたと思います。

 

 大学3年のときに、どっちにしようか迷った挙句に、結局違う方のくじを引いてしまったという思いがあったのだろうと思います。大学院に進学するときに、結局、迷っていたもう一つの研究室であった環境生物学研究室の門をたたくことにしました。当時、植物病学研究室と環境生物学研究室はお隣り同士だったので(今はどうなっているか、まったくわかりません)、研究室を移るにしても毎日顔を合わせることになります。当然、気まずくなると思ったので、なかなか先生方に言い出せなかったのですが、環境生物学研究室の先生が気さくに声をかけてくださったので、救われたような気持ちで、大学院を受験させてもらいました。環境生物学研究室での研究には、3年時の実習・実験で興味をもったのですが、その時はまだおぼろげではあったのですが、進化的な現象として殺虫剤抵抗性を研究することの可能性について感じていたのだろうと思います。

 

 ちなみに、平成2年度に提出した卒業論文のタイトルは、『造成素材がシバ赤焼病の発病に及ぼす影響』でした。

 


 

 

 

 

 

私たちが大学生の頃は、現在のように誰でもコンピューターを持っているような時代ではなく、ワープロを使って卒論を書いている学生が現れはじめた頃だったと思います。先輩方の卒論もほとんどが手書きであり、私も先輩方に倣って手書きにしましたが、指導教官に提出したときに、手書きであることで、あまりいい顔をされませんでした。字が下手なので、それもやむを得なかったのかもしれません。