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修士論文のテーマ

修士論文のテーマ

 

 今から思えば、研究室のあるある話だったのかもしれませんが、学部の卒業研究では「話が違うじゃん」という思いを抱きながら、1年間をなんとか過ごしてきました。大学院の修士課程でお世話になった研究室は、卒研の研究室として3年終了時にどっちにしようかと迷っていたもう1つの研究室だったわけですが、隣の研究室だったにもかかわらず、たどり着くまでに1年もかかってしまったという思いがあったと思います。3年の学生実験の時には、とても大変ではありましたが、みんなと協力し合い、言い争うようなこともありましたが、その分とてもやりがいを感じさせてくれたのでした。

 

 3年の学生実験および修士課程でお世話になった指導教官は、殺虫剤抵抗性の生理・生化学的研究を主に行い、しかもアメリカで長い間研究を続けてきたという実績を持つ人でした。そのためか、環境緑地学科の他の先生方とは、ちょっと違う雰囲気を持っていました。例えば、学校に、女の子が履くホットパンツのような短目のデニムのパンツを履いてきて、学生に目のやり場に困らせたり、ジージャンを着てきたり、机の角に足をぶつけて、「いて!」と言わずに「Ouch!」というような、学科の他の先生方とはちょっと違う雰囲気を持った、そんなアメリカナイズされた先生でした。

 

 先生ご自身、長い間殺虫剤抵抗性の生理・生化学的研究、特に解毒分解酵素の分析などに従事されてきたようでした。そして研究室の周りの先輩方も、そのような研究をされていたと思います。しかし、私が大学院生としてこの研究室に足を踏み入れるようになったころ、先生は、ゴルフ場などでの効果的な殺虫剤の施用法や殺虫剤にまつわる環境的な問題と言った、農薬の応用的な側面に興味をもっていたようで、どこかの企業と共同研究を始めようとされていたのではなかったかと思います。そのような状況の中で、修士論文の研究テーマとして先生が私に最初に提示してくださったテーマは、これから先生が本腰を入れようとされていた、ゴルフ場かどこかでの殺虫剤の効果的な施用方法についての研究だったように記憶しています。私としては、殺虫剤抵抗性を進化的な過程として研究したいと思っていたので、正直、かなりがっかりしたと思います。学部の時と同じように、またやりたい研究とはかけ離れた研究をしなければならないのかと思ったのではなかったかと思います。しかも今度は2年間もです。かなり絶望的だったので、「ちょっと時間をください」と即決することを避けたのですが、不服そうな私をみて、指導教官はテーマを変えてくれたのでした。

 

 私が修士論文のテーマとして与えられた研究は、殺虫剤抵抗性の不安定性という現象に関するものでした。殺虫剤抵抗性が発達した集団を実験室で維持していると、その抵抗性レベルが次第に低下していくという現象がたびたび観察されていました。殺虫剤に弱い感受性の個体が誤って混入したことによって抵抗性が低下したのだと片付けられてしまうことも多かったようですが、この研究室の先輩も卒業論文などで公式に報告されており、単純に、感受性個体の誤った混入として片付けられないのではないか、何か特別なメカニズムがあるのではないか、ということになっていました。私は、この研究室の門を叩いた時に、殺虫剤抵抗性の発達は、集団内に存在している抵抗性遺伝子が、殺虫剤という選択圧に対して反応し、その頻度を上昇させていく過程であるため、まさに遺伝的変異と選択圧という進化的なプロセスにとって重要な要因を研究することができると考えていたので、先生が与えてくださった「殺虫剤抵抗性の不安定性に関する研究」にとても興味を抱くことができ、やりがいを持って打ち込めるテーマだと思ったのでした。

 

 実際、千葉大学大学院の修士課程に1991年に入学し、1993年に修了して以後も、殺虫剤抵抗性の研究を続けることになります。