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抵抗性の不安定性

抵抗性の不安定性

 

 このように、昆虫集団に対して殺虫剤を散布し続けると、昆虫集団は次第に殺虫剤に対する抵抗性を発達させていきます。この過程は、例えば、ある殺虫剤のある濃度のもとでの死亡率、もしくは集団の個体数の半分を死亡させる殺虫剤濃度あるいは薬量(いわゆるLC50値あるいはLD50値)によって、記述していくことができます。すなわち、昆虫集団が殺虫剤に対する抵抗性を発達させていくにつれて、ある殺虫剤濃度のもとでの死亡率は、世代が経過していくにつれて減少していくことになるでしょうし、集団の半数を死亡させる殺虫剤濃度は、世代が経過していくにつれて増加していくことになるでしょう。つまり、世代とともに抵抗性が発達していくにつれて、昆虫個体は死ににくくなって行き、ある同じ殺虫剤濃度のもとでは、死亡率は世代とともにだんだん減少し、以前と同じ死亡率を得るためには、それだけ殺虫剤の濃度や量も増加していくことになります。

 

 では、昆虫集団に殺虫剤を散布し続けると、抵抗性は永遠に上昇し続けていくことになるのでしょうか? 常識的に考えれば、そのような状態になるとは考えにくいと思います。なぜならば、殺虫剤抵抗性は、もともとは初期集団に存在していたまれな突然変異による抵抗性遺伝子によるものであり、殺虫剤に対する抵抗性の発達が、抵抗性遺伝子の頻度が上昇していく過程であるとするならば、いずれは全ての個体に広まり、全ての個体が抵抗性遺伝子を持つ、抵抗性遺伝子の頻度が1となる状態に至ると考えられるためです。つまり、抵抗性遺伝子の頻度は1以上になることはできないので、抵抗性はあるレベルまでは上昇することができますが、それ以上にはならず、一定となると考えられます。

 

 このように、抵抗性が高度に発達した昆虫集団では、全て、あるいはほとんどの昆虫個体は抵抗性遺伝子を保有しているはずであり、もし実際に全ての個体が抵抗性であるならば、集団中には抵抗性の遺伝的変異は存在せず、殺虫剤抵抗性は以後変動しない安定な形質のはずです。しかし実際には、このような抵抗性が高度に発達した昆虫集団において、殺虫剤の施用による選択を中断すると、抵抗性レベルが低下していく現象がこれまでしばしば観察されてきました。この現象はいろいろな呼ばれ方がされているようですが、ここでは“感受性の回復”としておきたいと思います。特に実験室などで、一度高度に抵抗性が発達した昆虫集団において、抵抗性レベルが低下してしまう場合、よく感受性の実験室集団の個体が誤って混入してしまったのではないかと解釈されてしまっていました。なぜならば、昆虫集団は通常、昆虫飼育室などで飼育されており、ほとんどの昆虫の系統は同じ部屋で飼育されている場合が多いためだろうと思います。同じ飼育室で維持されている場合、感受性の個体が誤って混入してしまう可能性を完全に排除することは難しいとは思いますが、それでも先輩方は特別な注意を払って昆虫集団を維持し、感受性が回復する特別なメカニズムがあるに違いないと考え、卒業研究や大学院での研究としてまとめられてきたのでした。つまり、感受性の個体が誤って抵抗性の集団に混入したのではなく、何らかのメカニズムにより、感受性が回復したのだと考えたのでした。