Monogenic or Polygenic?
大学2年の夏休みの課題で木村資生の分子進化に関する著書を読んで以降、進化や集団遺伝学の本を求めては、自分で読み進めていきました。周りには教えてくれる人もいなかったので、わからないところもいっぱいあったとは思いますが、それでもテキストの章末にある集団遺伝学の練習問題を自分自身で解くことによって、集団における遺伝子頻度の変化の過程について、自分なりにイメージできるようにトレーニングする機会になっていたのだろうと思います。こんな風に、学部生のときに集団遺伝学のテキストに触れていく中で、遺伝学者のJ. F. Crowの存在を知るようになりました。J. F. Crowは木村資生がアメリカで勉強していた時のウィスコンシン大学マディソン校の遺伝学教授であり、遺伝学の非常に著名なテキスト『遺伝学概説』(英語名『Genetics Notes』)の著者です。大学院に入って殺虫剤抵抗性について研究するようになっても、Crowの遺伝学のテキストや、さらにHartlの集団遺伝学やFalconerの量的遺伝学のテキストなどを使って、集団遺伝学の勉強は自分で続けていました。そんな中、著名な遺伝学者であるCrowが1957年の論文のなかで、キイロショウジョウバエにおける有機塩素剤DDTに対する抵抗性について報告していることを知ったのでした。このJ. F. Crowが1957年に発表した“Genetics of Insect Resistance to Chemicals”(化学物質に対する昆虫の抵抗性の遺伝学)というタイトルの論文は、私のその後の殺虫剤抵抗性研究のきっかけとも言える論文だったと思います。私の殺虫剤抵抗性に関する論文において、この論文を一番はじめにしばしば引用することになるのですが、私にとってそれほど重要な論文だったと言えるのではないかと思います。
J. F. Crowの集団遺伝学のテキストはいくつか翻訳されていますが、大学院で殺虫剤抵抗性について研究しているときには、『遺伝学概説』と『基礎集団遺伝学』(ともに培風館)を手に入れていました。Crowはいずれのテキストにおいても、自身のDDT抵抗性に関する研究の結果を載せています。ショウジョウバエにおけるDDT抵抗性の染色体分析に関する研究の結果なのですが、いずれの染色体からも抵抗性への寄与があり、Crow自身はショウジョウバエにおけるDDT抵抗性を量的なものであり、複数の抵抗性因子がDDT抵抗性に寄与しているpolygenicな形質であると考えていました。Crowは著名な遺伝学者であり、ご自身の最近のテキストの中でも、昔発表したこのような結果を引用しているわけですから、この結果について、自信を持っておられたのだろうと思います。にもかかわらず、この結果が、私が千葉大学の大学院生だった当時の殺虫剤抵抗性の研究者のあいだで、あまり顧みられていない理由が正直わかりませんでした。実際、殺虫剤抵抗性を研究している、特に農学分野における研究者は、抵抗性を質的なものとして考え、ほとんどの人は抵抗性は単一の抵抗性因子が寄与しているmonogenicな形質であると考えているようでした。さらに、ショウジョウバエのように、遺伝学的なツールが豊富な昆虫を用いているにもかかわらず、DDT抵抗性についてのその後の研究が発展していないことにも疑問を持ちました。もし本当に複数の抵抗性因子が寄与しているpolygenicな形質であるとしても、遺伝学者であるCrowであれば、量的遺伝学や統計遺伝学のような手法を用いれば、いくらでも研究を進めることができたのではないか、こんなことを考えながら、自分の抵抗性研究についても思いを巡らせるようになったのでした。このように、高名な進化学者、遺伝学者も殺虫剤抵抗性の遺伝学的な実験を行っており、しかもその結果について、自分自身の遺伝学や進化学の最近のテキストの中でも引用されているのですから、殺虫剤抵抗性を集団遺伝学的、進化遺伝学的に研究したいという自分の興味の方向性は間違っていなかったと思います。