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抵抗性研究の限界と希望 (2) 選択限界

選択限界

 先ほど、殺虫剤抵抗性の発達過程を、殺虫剤によって抵抗性の遺伝的変異が選択されていく過程であると記述しました。もちろん、自然界には天然の殺虫成分も存在しているので、そのような場合には自然選択になるのかもしれませんが、一般的に、殺虫剤は害虫集団の密度を下げるという意図を持って、人間によって散布されるものなので、人為選択として考えることができます。人為選択という用語は、動植物の品種改良や育種などでよく使われていますが、殺虫剤抵抗性の発達過程も、本質的には動植物の品種改良の過程と同じ観点から眺めることができ、さらには、チャールズ・ダーウィンが人為選択から自然選択の着想を得ていたように(ダーウィン, 2019)、殺虫剤抵抗性の発達過程も自然選択の過程と同じ観点から眺められることになります。

 

 このように、殺虫剤の場合に限らず、遺伝的変異と選択との間の関係は、進化遺伝学の中心的なテーマの一つであり、殺虫剤抵抗性という範疇から離れてみると、動植物の品種改良や育種などをはじめとした長い研究の歴史があります。長期にわたる選択についての研究もいろいろと行われており、それらについては遺伝学の教科書などで紹介され説明されています。例えば、選択実験において、キイロショウジョウバエの剛毛数といった形質に対して人為的に選択をかけると、平均の剛毛数は徐々に増加していきますが、先ほど述べたように選択の進行は永遠に続くわけではなく、いずれはプラトウあるいは選択限界に達し、その後は選択に反応しなくなってしまいます。このような選択限界に達してしまう理由の一つとして考えられるのは、先ほど述べたような、選択に反応する遺伝的変異の枯渇であり、例えば遺伝子頻度が1になってしまえば遺伝的変異はなくなってしまうので、もはやそれ以上選択に反応することはできなくなってしまうはずです。しかし実際には、このように選択限界に達しているようにみえる集団に対して、これまでの選択の方向とは逆の選択(例えば、これまで増加する方向に選択をかけていたならば、減少する方向に選択をかけるといった逆向きの選択)に反応する、あるいは選択を中断すると、もともとの値の方に形質値が回復していくことが観察されていました(ハートル, 1987)。つまり、選択限界に達し、遺伝的変異が枯渇してしまったように見える集団であっても、実際には遺伝的変異がなくなっているわけではない場合があり、その場合には、選択を中断すると、形質値がもとの方向へ戻っていく場合があることが観察されていました。

 

 このように、選択に反応する遺伝的変異がまだ残っているにもかかわらず選択限界に達し、選択を中断すると形質値がもとの値の方に戻ってしまう理由として、自然選択と人為選択が拮抗しているためである場合が多いと考えられています(Charlesworth, 1994)。例えば、マウスなどでは、体が小さくなるように選択していくと、体はだんだんと小さくなっていきますが、体が非常に小さいものは、今度は不妊となってしまうため、結局選択に対する反応は停止してしまうそうです(ハートル, 1987)。つまり、体があまりにも小さくなってしまうと子孫を残せなくなってしまうので、ある程度の大きさのところまでしか小さくなることができないというわけです。このように、ある形質に対する選択が、自然選択の効果とは逆であるために、だんだんと選択の効果がなくなっていき、ついには選択に対する反応は停止してしまい、そこで選択が中断されてしまうと、自然選択のネガティブな影響のみが残されるので、形質値はもとの値の方向へと戻っていくと考えられます。

 

 このような選択実験の結果が、例えば集団遺伝学の教科書には図として提示されており、学部の時からこのような図を見てきた私は、殺虫剤抵抗性における感受性の回復という現象も、これらの選択実験と同じような観点から考えることはできないのだろうかと考えたのでした。つまり、殺虫剤で長期間選択していたにもかかわらず、殺虫剤による選択を中断すると抵抗性レベルが低下していくという感受性の回復という現象も、他の形質に対する選択実験と同じように、殺虫剤による選択を長期間続けていたとしても、集団内の抵抗性の遺伝的変異はそもそも枯渇していたわけではなく、集団は完全にホモ接合性の状態になっていたわけではなかったのではないのか? その場合、集団遺伝学や量的遺伝学のテキストに出てくる図表のように、集団遺伝学や量的遺伝学的な観点からこの殺虫剤抵抗性の不安定性という現象にアプローチし、生存率や繁殖率といった適応度形質と殺虫剤抵抗性との間の関係を調べていくアプローチを取らなければならないのではないのか? このように考え、殺虫剤抵抗性の発達過程を進化遺伝学や集団遺伝学的な観点から研究していきたいと思ったのでした。