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抵抗性研究の限界と希望 (4) 抵抗性の量的遺伝学

抵抗性の量的遺伝学

 抵抗性は、ある生物の系統において、その種の通常の(感受性の)集団における大多数の個体にとって致死的であることが判明する薬物の投与量に耐えることができる能力の発達と定義されます(斎藤ら,1986, p. 147)。すなわち、殺虫剤抵抗性はある通常の感受性集団に関連してはじめて定義されるものです。そしてそれは薬量や濃度に依存します。つまり、あまりにも低い殺虫剤濃度の下では、すべての個体はみな生存してしまうでしょうし、あまりにも高すぎる殺虫剤濃度の下では、すべての個体が死亡してしまい、個体間あるいは系統間には差が見られなくなってしまいます。抵抗性もしくは感受性の差を示す殺虫剤濃度の範囲が存在し、その濃度範囲においてしか、抵抗性という形質を理解することはできないことを意味します。よって、赤眼や白眼のような可視的な眼色突然変異が有するような、絶対的、普遍的な基準を持つ質的な形質として殺虫剤抵抗性を理解することは、本質的に困難なことだと思いますし、むしろ殺虫剤抵抗性を、ある一定の殺虫剤濃度における死亡率や、ある一定の死亡率をもたらす殺虫剤濃度のような、量的な形質として記述することによって、抵抗性のことをよりよく理解することができるのではないかと考えます。

 

 実際、殺虫剤抵抗性を量的な形質として取り扱い、先ほど述べた動植物の品種改良や育種の分野で広く用いられてきた量的遺伝学の手法を用いて殺虫剤抵抗性を分析している研究があることを、大学院生として千葉大学で研究していた時に知りました。日本の大学での研究だったのですが、コナガというキャベツなどのアブラナ科の野菜を食害する鱗翅目害虫集団に対して、殺虫剤で継代的に選択する実験から得られた結果に対して、実現遺伝率を推定していました(Tanaka and Noppun, 1989)。ある基準に対して、選択される個体の割合が小さくなるほど選択圧は大きく、かけられた選択は強いということになります。例えば、殺虫剤の濃度が高くなるほど、一般に、生存できる個体の割合は小さくなるでしょうし、それだけ殺虫剤の選択圧は大きくなり、かけられた選択は強くなるといえます。実現遺伝率とは、簡単に言えば、かけた選択の強さに対して、どれだけ選択に反応したかを示す比率です。ですから、もしこのような研究がすすめば、これから殺虫剤を散布しようとしている集団について、予備実験などからその集団の平均の感受性やそのばらつきなどがわかっていれば、ある殺虫剤濃度に対してどれくらいの死亡率がもたらされ、それによって次の世代では抵抗性のレベルがどれくらい上昇し、それによってある殺虫剤の濃度が次の世代においてどれくらい効果があるのか、などといったことを、ある程度予測できるようになるのではないかと私は期待を持ちました。つまり、殺虫剤散布の影響が前もってある程度予測することができれば、やみくもに殺虫剤を散布することによる抵抗性の不用意な発達を抑えることも可能となり、そうなればある殺虫剤に対する害虫集団の感受性をある程度維持しながら、その殺虫剤の使用できる期間も伸ばすことも可能になるのではないか、といったような希望を抱かせるものであり、殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的アプローチの可能性を私は感じました。このように、Tanaka and Noppun(1989)の論文から学ぶところはとても大きかったと思います。

 

 J. F. CrowによるショウジョウバエのDDT抵抗性の染色体分析の結果から、殺虫剤抵抗性を進化遺伝学的、集団遺伝学的に研究するというアプローチは、恐らく何十年も前に試みられていなければならなかった方向性だったはずなのですが、私が千葉大学の大学院生だった当時、残念ながらほとんど顧みられていませんでした。殺虫剤抵抗性を量的に分析すると言うと、なにか新たに特別なことを行おうとしているように見えるかもしれませんが、そんなことは実際にはありません。殺虫剤抵抗性を研究するときに、昆虫集団の殺虫試験を行ってLC50値を求めたりすることは、学部生の実習や実験でも行われるような、もっとも頻繁に使われている基本的な分析方法の一つだろうと思います。実際に、私たちも学部3年の学生実験でやった記憶があります。LC50値を求めるとき、一般にプロビット分析と言われる統計手法が用いられると思いますが、この統計的な手法も、その背後には殺虫剤に対する感受性の正規分布が仮定されています。殺虫剤抵抗性の遺伝的な背景にかかわらず、みんなが用いている手法であり、いわば、知ってか知らずか、殺虫剤抵抗性をみんなは量的な形質として扱っていることになるのだろうと思います。Tanaka and Noppun(1989)の論文は、この殺虫剤抵抗性の背後に横たわっている変異の正規分布に目を向けさせる、抵抗性研究にとってとても重要な研究だったと私は思いましたが、残念ながら農学の分野ではあまり正当に評価されていなかったように思います。