千葉大学卒業そしてアメリカへ

千葉大学卒業そしてアメリカへ

 

 このように、千葉大学在学中からアメリカの大学院への留学の準備を進めていましたが、千葉大学を3月に卒業したときに合否の結果がすでに出ていたのか、それとも結果待ちの状態だったのか、ちょっとよく覚えていません。確か23の大学院にアプリケーションを送っていたと思いますが、どのような学校に願書を送ったのか、もう記憶にありません。TOEFLGREの試験でも、良い結果を残せてはいなかったと思いますし、いずれにしても、行く先が定まらないまま千葉大学を卒業することになりました。千葉県のある病院で当直のアルバイトなどをしながら、進学先を探していたと思います。しかしこのまま日本で留学の準備をしていても、私の英語力では埒が明かないと思い、アメリカで英語の勉強をしながら現地で進学先をさがすことにしました。今から思い返してみますと、高校時代から英語が苦手で、ろくに英語をしゃべることもできなかった自分にとって、恐らく一番大きな決断だったと思います。しかし、その後の自分にとって、とても大きな、貴重な経験をすることができたと思います。

 

 一口に大学と言っても、アメリカには大変多くの大学があります。ハーバード大学をはじめとするアイヴィー・リーグの大学やUCLAなどのカリフォルニア大学のいくつかの分校は、日本人にとっても馴染みがあるでしょうが、アメリカの大学はそれだけではありません。私が進学できそうなアメリカの大学院を探すために、現地で学校案内を手に入れたことがありますが、本当に電話帳のようでした。このように、アメリカにはたくさんの大学があるのですが、ある程度の大きさの大学であれば、通常は、英語を母国語としない外国人のための語学学校が併設されています。スチューデント・センターや図書館などの大学の施設をある程度利用することができるので、勉強するにはとても良いシステムだと思いました。とはいえ、費用や評価などもいろいろとバラツキがあるようだったので、たくさんの大学の中から語学の勉強のための良い学校を選ぶ必要がありました。

 

 私がアメリカに渡ったのは1993年のことです。当時は、バブル景気がはじけたかどうかといった頃だったと思いますが、語学留学がはやりで、海外に留学する日本人も多かったのではなかったかと思います。なので、海外留学の手続き代行業者もたくさんあっただろうと思いますが、私はすべて自分で手続きを行いました。留学関係の本を手に入れて、その中に紹介されていた語学学校の中から自分がいきたい学校を選んだと思います。よっぽどのことがない限り、語学学校は費用さえ払えば、基本的には誰でも入ることができたと思います。なので、テストの成績などは気にしなくてもいいことになります。私の場合には、まず授業料があまり高くないところということを基準としました。また、私は車を運転することができないので、車がなくても生活することができる、公共交通機関がある程度発達した比較的大きな都市にあること、そして、やりたい研究ができそうな大学が近くにあること、という基準で、語学学校を選びました。このような基準で私が選んだ学校は、ジョージア州アトランタにあるジョージア工科大学という大学の語学学校でした。