語学研修のため渡米
ジョージア州はアメリカの南東部にあり、その首都であるアトランタは、オリンピックも開催されたことがある、アメリカでも有数の大都市です。地下鉄も走っており、私のように車を運転できない人間にとっても、比較的移動の便が良い街でした。私が通ったジョージア工科大学は、ジョージア・テックという愛称を持つ、学業も全米トップレベルの学校でした。またスポーツも盛んで、一昔前には、アメリカンフットボールの強豪校として全米でも知れ渡っていました。学校の敷地もとても広大であり、アメリカンフットボールのスタジアムも、語学研修に通い始めた頃はとても眩しかったです。英語の勉強はもちろんですが、生まれて初めてアメリカのキャンパス・ライフを体験する学校としては、とても良い選択であったと思います。
1993年6月から始まるサマー・クオーター(夏学期)に参加するために、アトランタに向かいました。バブル景気の終わりごろだった当時、海外での語学留学がとても流行りだったと思います。日本人はアメリカの大学の語学学校のお得意様だったでしょうし、どこの語学学校にも日本人はごろごろいたのではないかと思います。私のように、なんの身分もない素浪人のような生徒もいっぱいいたでしょうが、それとともに、日本の大企業の社員が、アメリカのビジネス・スクールなどでMBAを取るために、会社から派遣され留学するといったケースも、当時は多かったのではないかと思います。正規のMBAコースの前に、その準備として語学を勉強しているといった日本人の社会人も実際に何人かいたと思います。
私がアトランタに滞在していた頃は、日本人よりも韓国人の方が多くなりつつあった頃だったと思いますが、それでも日本人はクラスに何人かいました。なので、下手をすると英語を使わなくても日常は生活できてしまいます。本当は望ましくなかったのだろうとは思いますが、それでもやっぱり日本人と一緒に行動をともにすることが多かったように思います。というのも、頑なに日本人を避けることは、実際のところ不自然でしたし、周りの日本人も企業から派遣された社会人が多く、アトランタでも車を持っていて、いろいろなところに連れ出してくれたので、私も甘えさせてもらっていました。本人たちも、会社から離れて気ままだっただろうと思いますし、私とは違って滞在費用も会社がもっていただろうと思いますので、いろいろとご馳走になったりもしました。なので、英語を勉強する環境としては厳格なものとは言い難いものがありましたが、それでも私自身だけでは恐らく味わうことができなかっただろうアメリカン・ライフを体験させてもらうことができたと思います。
大学院ではなく、不本意ながら英語の語学研修という形でアメリカへ渡ってきました。進路も決まっておらず、自分の中には焦りもあったと思います。その後、アメリカの大学院に入学することになりますが、アメリカ滞在の一番はじめのこの語学研修の時に、アメリカに滞在した数年間の中で最も貴重な経験をすることができたと思います。やっぱり現地でないとわからない知見があり、実際に体験してみないとわからないことも多くあるのだろうと思います。回り道だったように見えるのですが、今から振り返ってみると、以後の私にとって、このアトランタでの経験はとても大きなものだったように思います。