日本とアメリカの違い (2) 文のつながりを意識する

文のつながりを意識する

 ジョージア・テックの語学学校の英作文の先生は、アメリカ人にとって良い文章とはどういうものかを、とてもわかりやすく説明してくれたと思います。とにかく、わかりやすい文章が良い文章である、ということでした。では、アメリカ人にとってわかりやすい文章とはどういう文章でしょうか? 逆に、日本人にとって良い日本語の文章とは、例えば、季節の挨拶から始まり、起承転結を意識した、文章の美しさとか響きの良さのようなものを大切にしたものではないかと思います。行間を読むというように、文章には直接現れない、筆者の思いを感じとれるような文章が典型的な日本語の文章なのではないかと思います。しかしこの日本人に典型的な文章をそのまま英語にしてしまうと、はっきりと言ってしまえば、アメリカ人にとっては何が何だかさっぱりわからないということになってしまうのだろうと思います。なぜかというと、文がどのようにつながっているのか明確ではなく、筆者の意図が見えないためだということでした。

 

 例えば、次の文章を考えてみてください。

 

A氏はこのところ、いくつもの仕事を抱えていた。今日、さらに一件の仕事が舞い込んだ。」(***

 

例文として適切かどうか、ちょっとわかりませんが、でも文がどのようにつながるかをみるにはいいと思います。この2つの文を読んで、みなさんはどのように感じたでしょうか? いくつか考えられると思いますが、例えば、

 

A 氏はこのところ、いくつもの仕事を抱えていた。(幸運にも、)今日、さらに一件の仕事が舞い込んだ。」

 

という文章であったならば、A氏は事業も順調に拡大し、仕事もうまくいっているのではないかという印象を与えると思います。しかし、

 

A 氏はこのところ、いくつもの仕事を抱えていた。(不幸にも、)今日、さらに一件の仕事が舞い込んだ。」

 

という文章だったらどうでしょうか? 多分、A氏は私生活でうまくいっておらず、仕事どころではないのだろうという印象を与えるのではないかと思います。これらのことを判断するための情報は、この文章以前に提示されているはずなので、(***)の文章がどういうことを意味しているのかは判断することができるかもしれません。しかし、***)の文章だけでは、これらの文章が意味することは判断できないことになります。特に、忙しいアメリカ人の場合には、文章をはじめからゆっくりと読むことができないことも多く、その文章だけから判断しなければならないことも多いので、これらの文章が何を意味するのかをより明確にすることが、文章を書く人には求められることになります。なので、今回の例で言えば、“幸運にも”や“不幸にも”のような、文と文をつなぐロジカル・コネクターといわれる言葉の役割が英語の文章の中では特に重要であり、ロジカル・コネクターをうまく使いながら、文と文がどのようにつながっているのかを明示して、相手にこちらの意図をはっきりと示すことが大事だと教えられました。“それゆえ”や“だから”というロジカル・コネクターを使って理由を提示したり、“しかしながら”や“そうは言っても”という言葉を使って反対の事柄を述べたりすることで、こちらの意図をより明確に相手に伝えることができます。ただ文と文を並べるだけでは、相手にこちらの意図を伝えることはできません。ロジカル・コネクターを使いながら、文と文がどのようにつながっているのかを相手に明示することで、より分かりやすい文章になり、それはアメリカ人にとっては良い文章なのだと教えられたのでした。

 

 日本人にとっての良い文章とアメリカ人にとっての良い文章は、必ずしも同じではありません。当たり前のことなのですが、アメリカで実際に教えてもらうまで、そのことについて考えたこともありませんでした。実際に現地に行かないと実感することのできないことの1つなのだろうと思います。