日本とアメリカの違い (4) フォーマルな英語とインフォーマルな英語

フォーマルな英語とインフォーマルな英語

 塾で小学生や中学生に英語を教えているとき、日本の初等・中等教育における英語はかなり会話を意識しているなあといつも思っていました。私たちが学生だった頃から、学校教育で10年近く英語を勉強しているにもかかわらず、アメリカ人や西欧諸国の人々とろくに会話もできないという批判があったので、学校教育でも会話を重視するようになったのだろうと思います。でも、ちょっと極端すぎるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

 

 英語に対して、みなさんがどのような印象を持っているか、ちょっとわかりませんが、私がアメリカで実際に英語の教育を受けて抱いた感想は、日本にいたときに抱いていた英語に対する印象よりもずっとフォーマル、インフォーマルのけじめがあり、例えば人前で講演をしたり、なにか改まったスピーチなどをしたりするときには、とても丁寧な、かっちりとした言葉や文法を使う言語だなあと思いました。その点は、日本語と同じだろうと思いますし、ひょっとしたら日本語以上に厳格なのかもしれません。しかし、そこらへんのことを中学や高校で教えてもらうことはないので、中学で習ったようなノリで英語を使っていると、結構危険だと思いました。アメリカ人はみんな、中学校の教科書に出てくるような軽いノリの若者たちばかりではありません。なので、ちゃんとそこらへんのことを子供たちに認識させてあげるべきだと思いました。

 

 例えば、なにかわからないことがあるので、わからないということを表現したいとします。仲の良い友人同士の会話であれば、“I don’t know.”でいいかもしれませんが、目上の、例えば先生に対してであれば、“I have no idea.”のほうが適切かもしれません。さらに、学校に提出するエッセイやレポートのようなフォーマルな文書のなかで、このようなことを表現しなければならないとしたら、“I do not know how to obtain the information.”などのように、don’tと省略形を用いるのではなく、do notにしなければならないと教えられました。don’tは会話のようなインフォーマルな状況の中では用いることができたとしても、大学に提出するフォーマルなレポートの中では用いることができず、do notを用いなければならないのです。なので、会話を重視した日本の英語教育がすべてである若者が海外に行ったとしたら、大学に提出するようなレポートに、“I don’t wanna do such a thing.”などのような文を書いてしまいかねません。という私も、向こうの英作文の先生に注意され、そうだったのかと、とても驚いた人間の一人です。さらに、アメリカ人は、年上の人でも年齢にかかわりなくファーストネームで呼びあうことがありますが、そうかといって、まったくなれなれしくしていいというわけではありません。英語には敬語がないと聞いたことがあるような気もしますが、そうではなく、かっちりとした文法やかっちりとした単語を用いることによって、相手に対して敬意を表することがあり、これは恐らく今の日本語以上に厳格なのではないかという印象を持ちました。なので、日本の中学校で学んだことと結構違うなあと思うことや、ちょっとイメージと違うと思うことが結構あったので、そこらへんのところをちゃんと教えてあげないと、子供たちも混乱してしまうでしょうし、現地の人々から不必要に誤解されてしまっては、貴重な異文化との触れ合いも、あまり実りの多いものにはならないかもしれません。英語は、仲の良い友人同士との会話さえできればいいという考えがあるとしたら、それは大きな間違いであると強く思いました。