アメリカの大学院へ

アメリカの大学院へ

 

 これまで述べてきたように、アメリカに実際に渡って、とても多くのことを学ばせてもらうことができました。しかしアメリカに渡った本来の目的は、私のことを受け入れてくれるアメリカの大学院を探すことであり、必要とされるTOEFLGREといった試験でよい点数を取るために、しっかりと英語の勉強をすることです。もうなにも考えずに英語のテスト勉強をすればいいように思うかもしれませんが、日本の大学の受験勉強の続きのような感じがしてしまって、どうにも勉強に身が入りませんでした。アメリカのテストは基本的にマークシート方式であり、日本での共通一次試験の時と同じように、なかなか真剣になれませんでした。大学受験のときに英語であまりいい思いをしてこなかったので、英語は苦手であるという意識が先行してしまい、英語の試験勉強はとてもつまらないという思い込みでガチガチになってしまっていたのだろうと思います。でも今から振り返ってみると、ちゃんとやっておけばよかったなあと思うばかりです。

 

 現在の状況については、ちょっと定かではありませんが、私が学生であった当時、アメリカの多くの大学院は、海外からの留学生に対して、TOEFL 550点以上を取ることを要求されることが多かったと思います。このようにあまり英語の勉強に身が入らない中、それでもなんとか550点をクリアしたことがあります。確か、551点くらいだったように記憶していますが、本当に辛うじて550点を超えることができました。ただ、この1点の差は、アメリカの大学院にとってはとても大きなものがあるようです。といいますのは、TOEFL550点を要求されていたある大学院に549点(私の記憶では)で願書を提出したら、1点足りないことを理由に、問答無用で落とされたことがありました。1点の差にどれだけの意味があるのかと当時は憤ったものですが、どうだったでしょうか。

 

 難しいと言われていたGREでも、日本人にとっては比較的容易な数学力テストで満点をとることに集中し、なんとか必要とされる点数を超えることができました。いくつかの大学院にアプライし、幸い2つの大学院からオファーがありました。そのうちの一つであるデラウェア大学は、TOEFLで要求された点が520点でしたので、なんとか必要条件を満たすことができたようです。オファーを出してくれたもう一つの大学院は、アメリカンフットボールやバスケットボールが全米でもトップレベルの、とても有名な州立大学だったので、どちらにしようかとても迷いました。しかし、そちらの大学では、今まで千葉大でやっていたような殺虫剤抵抗性の研究の枠組みからあまりはずれるものではなく、一方デラウェア大学では私が希望していたような殺虫剤抵抗性の研究に興味を示してくれたので、デラウェア大学に進学することにしました。今から振り返ってみても、この選択は間違っていなかったと思います。というのは、私を受け入れてくれた学科は“Department of Entomology and Applied Ecology”(日本語に訳すと“昆虫学および応用生態学科”)という名前であり、私が希望していたような、殺虫剤抵抗性を進化や生態学の枠組みの中でより深く探求することができたのではないかと思うためです。

 

 もともと英語は苦手でしたし、ろくに喋れもしませんでしたが、アメリカに渡り、結局数年間滞在することになりました。今から思い返してみますと、少し無謀と思われてしまうかもしれませんが、でも不思議なもので、英語が喋れないことはまったく気になりませんでしたし、喋れないことに不安を全く感じてもいませんでした。それよりも、千葉大学にいたときに感じていた、新しい殺虫剤抵抗性の研究の可能性に心を躍らせていましたし、生物の進化や生態学をアメリカで勉強できることの嬉しさに、ワクワクしていただろうと思います。確かに、喋ることはとても大事なことだと思います。でも会話はコミュニケーションの一つにすぎません。私は日本語でさえもあまり喋りたいとは思わないタイプなので、たとえ英語がぺらぺらだったとしても、アメリカではろくに喋らなかっただろうと思います。しかし、もし話をして相手に伝えたいことが伝えられなければ、書いて伝えればいいのだろうと思っていました。そのために、英語で書くことについては、アトランタのジョージア・テックで一生懸命に勉強したのだろうと思います。海外に留学する上で、英語を喋ることができるということはとても大事なことなのかもしれませんが、多分それ以上に、こういうことを自分は勉強したいんだという強い情熱が大事なのだろうと思います。

 

 念願のアメリカの大学院で、自分が希望する殺虫剤抵抗性の研究ができることを夢見て、次のステージに進みました。