大学院のシステム
私がデラウェア大学で学んでいたのは、もうすでに20年以上前のことなので、大学院のシステムが現在どのようになっているのか、ちょっとわかりません。それでも当時すでに、アメリカと日本との間に、大学院教育に関する大きな差があったと思いますので、そのことについて、手短に述べておこうと思います。
日本でも最近多くの学生が奨学金をもらえるようになり、学生が勉強を継続することが、昔ほど困難ではなくなりつつあるように見えます。しかし、日本でもらえる奨学金は、基本的には借金であり、例えば就職したあとなどに返済していかなければならないことが多いと思います。返済しなくても良い奨学金も近年増えてきているようですが、それでも経済的な問題を抱えている学生など、ごく一部に限定されているのではないかと思います。アメリカの大学院の場合、一般的に当てはまるかは正直わかりませんが、少なくとも私が留学していたデラウェア大学の場合には、基本的に大学院生はリサーチ・アシスタントシップを取っていました。リサーチ・アシスタントシップというのは、教授の授業や研究をサポートする助手のアルバイトのようなもので、日本の奨学金のように思われるかもしれませんが、将来返還する必要はなく、何よりもアシスタントシップを取ると授業料が全額免除され、なおかつ、潤沢とはいいがたいものの、それでも大学院生が生活するのには十分な給付金を毎月もらうことができたので、勉強や研究を続けたいと思う学生には、とてもありがたいシステムでした。
私の場合は、英語もろくにしゃべることもできない日本からの留学生でしたので、最初は私費の留学生として受け入れてもらいました。最初の学期で一生懸命頑張って良い成績をとり、きっと奨学金をとるからということで、最初は親に援助してもらったのではなかったかと思います。公約通り、次の学期からはリサーチ・アシスタントシップを私も得ることができ、以後アメリカ滞在中は授業料も免除され、あまり誘惑のないアメリカの地方の町で大学院生生活をするには十分な給付金を毎月いただきながら、勉強し研究させてもらうことができました。まったく親から援助してもらわなかったというと真実ではないような気がしますが、それでも、それほど親に負担をかけることなく勉強を続けることができて良かったと思います。
大学院に進学し勉強を続けたいとしても、日本では大学院に進学することはモラトリアムといった印象を抱く人が多いのではないかと思います。私も、日本にいたときには、大学院で勉強しているというと、“親の脛をかじっていい身分だ”だとか、“早く社会に出なさい”などと苦言や忠告をいただくことが多かったと思います。しかし、アメリカの場合であれば、大学院で勉強している学生に対するアシスタントシップなどの給付は、とても充実しているように思いました。多分、勉強や学問に対する考え方や見方の違いなのだろうと思います。日本人にとっては、大学院で勉強することは社会に出る前の猶予期間であり、親の脛かじりだと思われるのだろうと思います。しかしアメリカでは、大学院での教育は、いわば将来に対する投資なのだろうと思います。現在のアメリカの繁栄を支えている基盤の少なくとも一部分は、先進的な科学技術や多様なものの見方、考え方であり、その先進的な科学技術やものの見方を支えているのが、アメリカの大学や大学院での教育だとするならば、日本とアメリカの大学院教育に対する考え方や態度の差は、悲劇的でさえあると感じています。
卒業してから20年以上になる現在でも、デラウェア大学から寄付金を募るダイレクト・メールや電子メールをいただきます。これらの寄付金は、私がアメリカ滞在中にいただいていたアシスタントシップのような、学生に対する給付金にも使われると思いますので、できるだけ協力したいと思っています。しかし、安定した収入がなかなか得られない現在、あまり思うように応えられていません。それでも、大学院での教育は将来に対する投資だと私も考えていますので、少額かもしれませんが、今後もできる限りデラウェア大学に対する寄付には応えていきたいと思っています。