大学院の授業
私は千葉大学の修士課程を修了してからアメリカに行きましたが、アメリカでも修士課程に入学したので、研究ばかりではなく、大学院の授業も当然受講し、必要とされる単位を取らなければなりませんでした。日本の場合には、大学院の授業はほとんど形式的なものであり、テストさえないことも多かったと思いますが、アメリカの大学院の場合にはそうは行きません。大学生の時以上に勉強しなければなりませんでしたし、もちろんテストもあります。さらに、何十ページにもわたるレポートを提出しなければならない授業も多くありました。何度も言いますが、私は基本的に英語が苦手だったので、喋ることもままならず、先生や他の学生が何を喋っているのかもよくわからないことが多く、分厚いテキストを読み進めるのにも時間がものすごくかかってしまいました。いいところが何一つなく、よくアメリカに行ったものだと思われてしまうかもしれませんが、正直私もそう思います。悩みを打ち明けられるような友人などおらず、勉強で困っていても周りには尋ねることなどできませんでした。なので、英語が困難であった私が、アメリカの大学院での授業についていくことは、正直に言えば、かなり困難なことだったのではないかと思います。今から思い返してみても、よくやったなあと思いますし、胃が痛くなるような思いがこみ上げてきます。若かったからだと思いますし、やっぱり、殺虫剤抵抗性の新しい研究に対する期待が大きかったのだろうと思います。不安や苦労よりも期待の方が優っていたのだろうと思います。デラウェア大学の大学院で受けた授業は、どれもとても印象的ではありましたが、その中でも特に印象に残っている授業を2、3挙げて、それについて簡単に述べさせてもらいたいと思います。
昆虫生態学(Insect Ecology)
アメリカに渡って、最初のセメスター(1994年秋学期)で受講したこの授業では、進化生物学のなかの1つの分野である“種分化”をテーマとした700ページ近くある分厚い本を教科書として用いました。多くの研究者が1章ずつ分担執筆し、それぞれの章は20ページくらいでまとめられています。このコースは昆虫学科修士課程の必修科目であり、20人くらいいた昆虫学科の大学院生はみな受講することになっていました。この授業を受講していた学生は1章ずつ分担し、前もって決めておいた日程に従って、みんなの前でその章の要約を示し、さらに授業中の議論をオーガナイズする役割を果たさなければなりませんでした。他のみんなもそのときまでにその章の本文を読んで、A4用紙で2枚くらいにまとめた、その章に関するクリティーク(批判文)を書いてこなくてはなりませんでした。よって、毎週この授業のために、20ページ近くある本文を読んで、さらにはそれに関連する論文を読んでクリティークをまとめるという、とても大変な思いをして、その授業の準備をしていました。英語が苦手な私でしたので、本を読むにしてもわからない単語ばかりで時間がかかってしまうものでしたが、おかげさまで、わからない単語に出くわすと必ず辞書で調べる習慣が身についてしまいました。アメリカに渡って私に何か財産ができたとすれば、それは、わからない英単語に出くわしたときに辞書を引くことがまったく苦にならなくなったことだろうと思います。
この授業を担当されていた教授は、ツノゼミという興味深いセミの仲間の種分化について研究されていた方でした。葉巻をくわえ、ジーンズにブーツをはいて、バンダナを頭に巻いているような、私にアメリカに来ていることを実感させてくれた、とてもアメリカンな雰囲気を与えてくれた先生でした。飲み物を摂りながら授業を聞くこともアメリカではごく普通のようでしたが、私も周りの真似をして、授業中にチェリー・コークを飲みながら授業を聞いていると、この先生から「チェリー・コークを飲んでいやがる」とからかわれたことを覚えています。また、外のベンチに座って先生とその研究室の学生たちと話をしていた時に、私の頭にツノゼミが停まっていたことがありました。その先生は、「ツノゼミを採集する時には、タカ(私のこと)を木の下に立たせておけばいい」といって、とても愉快そうに笑っていました。私自身、進化に興味があり、先生の研究室に伺って、お話しをうかがったりして、とてもお世話になった先生でした。アメリカの大学院教育のダイナミックさを教えてくださったと思います。この先生から、「今週のクリティークの中で君のものが一番良かった」と言っていただいたことがありました。ベスト(best)ではなくナイセスト(nicest)という耳慣れない単語を生れてはじめて耳にして、少しとまどいましたが、でもほめてもらえて、とても嬉しかったことを覚えています。デラウェアでのとてもいい思い出の一つになりました。
昆虫生態学の授業で使ったテキスト。図書館で夜遅くまで勉強していましたが、それでも時間があっという間に過ぎ去ってしまうような、とてもフワフワした時間を過ごしていた気がします。なかなか、ゆっくり、じっくりと勉強することはできませんでした。 三代