コロラドハムシ
千葉大学にいたときに感じてきた抵抗性研究の限界を打ち破り、新たな側面からアプローチしたいと考えて、私はデラウェア大学の大学院にやってきたのでした。大学院で配属されたのは、コロラドハムシの防除を研究されていた教授の研究室でしたので、私の抵抗性研究の材料としてコロラドハムシを用いることになりました。コロラドハムシは英語ではColorado Potato Beetleと呼ばれています。名前にBeetleが含まれていることからもわかるように、甲虫目に属し、アメリカなどにおいてジャガイモを食害する大害虫であり、卵から孵ったばかりの若齢幼虫から成虫に至るまで、ひたすらジャガイモの葉を食害します。繁殖力もかなり高いので被害も大きくなるのですが、私がアメリカで研究していた当時、コロラドハムシの防除は殺虫剤に大きく依存していたため、殺虫剤に対する抵抗性が大きな問題となっていました。ピレスロイド系の殺虫剤は多くの害虫に対して用いられており、コロラドハムシにおいても抵抗性が報告されていましたが、雄と雌の間でピレスロイド剤に対する抵抗性の発現に差がみられることから、伴性遺伝することが示唆されていました。つまり、コロラドハムシでは、ピレスロイド剤に対する抵抗性遺伝子は性染色体(X染色体)上に存在している可能性があり、それゆえ殺虫試験を行うためには、雄雌別々に行わなければならないことになります。当時は、コロラドハムシの性別を幼虫の段階で区別する方法が、私の知る限りわかっていなかったため、実体顕微鏡下での観察によって雌雄を区別することができる成虫になるまで育てなければなりませんでした。1世代だけであればそれほど苦労もなかったのかもしれませんが、何世代もずっと継続してコロラドハムシの系統を維持することは途轍もなく大変であり、デラウェア滞在中様々な問題にずっとつきまとわれてしまいました。今となっては得がたい経験だったと思いますし、コロラドハムシの系統を2年近く継続して維持し続けるということも、日本ではなかなかできる経験ではなかったと思うので、ここで手短にコロラドハムシの飼育の仕方についてまとめておきたいと思います。
コロラドハムシの系統維持
私がアメリカに滞在していた時にも感じたのですが、アメリカの人々はジャガイモをとてもよく食べると思います。ハンバーガーのサイドメニューとしてフレンチフライをよく食べるでしょうし、私もアメリカ滞在中によく食べましたが、ベイクド・ポテトといって、ベイクしたポテトにいろいろなトッピングをして、その上にチーズをかけたものなど、メニューはとても豊富でした。もちろんスナック菓子でも、ポテトチップスは好んで食べられているでしょうし、ジャガイモはアメリカ人の食生活にはなくてはならないものなのだろうと思います。コロラドハムシは、そのジャガイモの大害虫です。ジャガイモの葉をほんとうによく食べます。なので、アメリカをはじめ、ジャガイモをよく食する国々の人々にとっては、コロラドハムシの防除は大きな問題であり、この害虫に対して殺虫剤が有効ではなくなってしまう殺虫剤抵抗性の問題は、頭の痛い問題なのだろうと思います。
私が研究していた当時、コロラドハムシの抵抗性研究が難しかった理由の1つは、コロラドハムシを継代飼育することがとても大変だったことがあげられると思います。コロラドハムシの人工飼料は当時まだ開発されておらず、この害虫を研究室で維持するためには、私が知る限り、新鮮な生のジャガイモの葉を与えることしかありませんでした。なので、コロラドハムシを継代して維持するためには、ジャガイモの葉を必要なだけ絶えず供給できなければならないということになります。つまり、春夏秋冬、季節を問わず一年を通じて、新鮮なジャガイモの葉を供給できる環境がなければならないことになります。デラウェアでは、真冬には大雪が降ることもありました。そんな中でも、ジャガイモの生の新鮮な葉を提供しなければならないのです。コロラドハムシを飼育するのですが、それと同時にジャガイモも一年中維持し、新鮮なジャガイモの葉を一年中供給できる体制を構築しなければならないという、いわば二重の困難を抱えることになるわけです。
コロラドハムシを飼育することが大変であったもう1つの理由は、この昆虫の1世代にかかる時間がものすごく長いことがあるのだろうと思います。私が実験を行っていた環境では、卵の状態から成虫になるまでに、およそ1か月かかりました。当然、それだけ餌となるジャガイモの葉も大量に必要になるでしょうし、実験に必要な個体数と次の世代を作るために必要な個体数を得るためには、さらに多くの時間がかかってしまうことになります。私の感覚では、もし何事もなく順調であったならば、実験を含めたすべての手順を完了するのに、一世代あたり3か月くらいかかったのではなかったかと思います。あとで述べるように、系統が維持できなくなりそうな壊滅的な打撃をこうむったり、餌となるジャガイモの葉がなくなってしまったりといったトラブルに見舞われてしまうと、さらに多くの時間を必要とすることになります。なので、多くの時間や労力、お金を投入してきたわりには、それほど多くの知見が得られないということになってしまうわけです。さらに後の方で詳述しますが、私は後にキイロショウジョウバエを材料として殺虫剤抵抗性の研究を続けることになりますが、それもコロラドハムシを用いて実験を行うというデラウェアでの経験から得られた教訓によるところが大いにあるわけです。