実現遺伝率:殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的解析

実現遺伝率:殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的解析

 

 千葉大学在学中に、殺虫剤抵抗性研究に横たわっていた限界とともに、いくつかの希望を私は感じてきました。その一つは、殺虫剤抵抗性を量的遺伝学的に解析することの可能性であり、デラウェア大学の修士課程での研究において、その可能性を検討することになりました。コロラドハムシというとても厄介な昆虫を材料にしたことで、多くの困難に見舞われてしまいましたが、そのおかげで、多くの得がたい知見も得られたのではないかと思います。つまり、大変な昆虫だったからこそ、それまでは得られなかったような知見が得られたのであり、そこにこそ私がデラウェアで行った研究の意義もあるのだろうと思います。以下において、私がデラウェア大学で行ったコロラドハムシにおける殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的研究について簡単にまとめておきたいと思います。

 

コロラドハムシ系統が受けた壊滅的な打撃

これまでたびたび述べてきましたが、コロラドハムシを飼育するなかで、数か月の間、コロラドハムシの幼虫期間に激しい死亡率がもたらされるような壊滅的な打撃に見舞われたことがありました。コロラドハムシのピレスロイド剤エスフェンバレレートに対する抵抗性の選択実験を行っていた期間にこのような壊滅的な死亡率がもたらされたことから、修士論文および雑誌に投稿した論文の中でも議論しているように、推定された実現遺伝率はオーバーエスティメイト(過大推定)であると結論しました。実現遺伝率を推定する方法はいくつかありますが、デラウェア大学の修士論文の中で行った実現遺伝率の推定では、累積選択差に対する累積選択反応の比として、h2 = 0.159と推定しました。これは、いわば原点と最終的な選択の結果を示すポイントを直線で結んだ時の傾きとして実現遺伝率を推定したことになります。その一方で、Journal of Economic Entomology誌に投稿した論文の中では(Miyo et al., 1999)、それぞれの世代の選択の結果を考慮した累積選択差に対する累積選択反応の回帰として実現遺伝率を推定し、h2 = 0.45 ± 0.463という推定値を得ました。このとき、回帰直線はY = 0.45X - 0.364として推定されています。もし理想的に実験が行われていたならば、修士論文の中での推定方法のように、選択が行われていなければ選択反応もおこらないはずなので、回帰直線は原点を通過するはずですが、この計算方法ではY切片は -0.364という推定値になっています。これは、コロラドハムシが壊滅的な打撃を受けたときに、強力な選択圧がかかっていたことを示唆するものであり、実現遺伝率を推定する際に、このときの激しい死亡率を選択差として考慮に入れることができなかった、すなわち実現遺伝率を推定する式の分母にこの影響を加えることができなかったことによるものと考えられると思います。修士論文の推定値は、いわば、原点と最後の点を結んで途中を平均化した推定値と考えることができるので、実際の遺伝率により近いと思われますが、それでもなお、コロラドハムシを維持していた時に見舞われた激しい死亡率による選択差を計算の中に考慮に入れることができなかったことによるオーバーエスティメイトであると考えられます。

 

では実際に、どれくらいの選択圧がコロラドハムシの集団にかかっていたのでしょうか? ちょっと仮想的に考えてみたいと思います。コロラドハムシの餌はジャガイモの葉しかなく、それ以外には餌として何も与えることができなかったので、壊滅的な打撃を与えてしまうことはわかってはいましたが、数か月の間ずっと同じ温室で栽培していたジャガイモの葉を与え続けざるをえませんでした。系統を維持することだけでやっとの状況だったので、かなりの選択圧であったと考えられます。ちなみに、この期間に受けたと考えられる選択差として、1から30の任意の数字を割り当て、改めて回帰分析によって実現遺伝率を計算してみます。確かに、この期間に受けたと考えられる選択差を考慮に入れると実現遺伝率は減少し、回帰直線のY切片はゼロに近づいていきました。ただ、かなり強力な選択圧とはいっても、あまりにも大きすぎる値は現実的ではないと思います。例えば、殺虫剤感受性の標準偏差(プロビット回帰直線の傾きの逆数)を1とした場合、1%の生存率(99%の死亡率)のときの選択差は2.665であり、0.5%の生存率(99.5%の死亡率)の場合には、選択差は2.892となります(Falconer, 1989)。数か月の間、壊滅的な打撃を受け、やっとの思いでかろうじて系統を維持していたため、実際に実験を行っていた私の実感としては、このぐらいの生存率でもおかしくないのではないかと思います。この期間の選択差が3であるとした場合、実現遺伝率は0.095となり、Y切片は-0.225となります。修士論文において推定した実現遺伝率が0.159であり、これでもオーバーエスティメイトであったことを考えると、この期間に受けた選択差は3あるいはそれ以上であり、もしこれが真であるならば、私が飼育していたコロラドハムシ集団は、この期間におよそ99%以上の死亡率を与えるような選択圧を受けていたことになります。しかし数か月という期間とコロラドハムシの繁殖力を考えると、実際にはもっと激しい選択圧がかかっていたとしても、あり得ない話ではなかったかもしれません。

 

殺虫剤抵抗性を量的遺伝学的に分析する意義

 これまで述べてきましたように、ピレスロイド剤エスフェンバレレートに対する抵抗性の選択実験を行っている期間に、維持していたコロラドハムシ系統に甚大な死亡率がもたらされてしまうような壊滅的な打撃をうけてしまったので、推定された実現遺伝率は、どうやってもオーバーエスティメイトにならざるをえません。しかも、抵抗性の選択実験を行っていた系統は、もともと抵抗性系統として他のアメリカの大学から送られてきたコロラドハムシ系統だったので、抵抗性の遺伝的変異もほとんどなかったでしょうし、抵抗性の選択実験それ自体も、送られてきた抵抗性系統の抵抗性レベルを確認し、系統間の交雑実験で用いた系統を特徴付ける以上の意味はなかったと思います。なので、推定された実現遺伝率の値自体には、それほど大きな意味はないと思います。では、系統を維持することさえ困難な昆虫を用いて、なおかつ実験中に壊滅的な打撃に見舞われてまでも、抵抗性の量的遺伝学的解析にこだわったのは、なぜでしょうか?

 

 ここで私が強調したいことは、家畜の育種や栽培植物の品種改良の分野で広く用いられている量的遺伝学の分析手法を、昆虫の殺虫剤抵抗性という形質に対しても適用することができる可能性があることを示すことにあったということです。例えば、ウシの乳量やブタやブロイラーの体重をこれだけ増やすためには、どのぐらいの選択をかけなければならないか、といったことや、コメやコムギの収穫高をこれだけ増やすためには、どれくらいの選択をかけなければならないかといったことを、育種家が量的遺伝学を用いて分析するように、もし殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的な手法が開発され、さらに発展すれば、例えば、どれくらいの殺虫剤をまけば(どれくらいの選択圧をかければ)、害虫集団のどれくらいの割合を抑えることができ(選択をかけた集団のどれくらいが死亡し)、次の世代に抵抗性がどれくらい上昇するのか(次世代の形質値がどれくらい上昇するのか)、といったことを、農業作物の収穫量や乳牛の乳量、ブロイラーの体重などと同じように解析し、ある程度の精度をもって予測することが可能になるのではないか、と考えてきました。野外において殺虫剤に対する抵抗性の発達が問題になりますが、殺虫剤を実際に散布する農家の人々にすれば、これらの情報をある程度の精度をもって知りたいのではないかと思います。さらなる発展が望まれるところだと思うのですが、実際のところどうだったでしょうか。

 

 アメリカ人にとって欠かすことができないジャガイモという重要作物の大害虫であり、しかも飼育することさえとても困難な昆虫であるコロラドハムシを用いて、このような挑戦を行ったことに意味があったのだろうと思います。多くの苦労があり、たいした知見も得られませんでしたが、選択実験の期間中に甚大な死亡率をひきおこしてしまうような壊滅的な打撃もなく、新鮮なジャガイモ葉が途中でなくなることなく絶えず供給できる環境があれば、コロラドハムシという大害虫において殺虫剤抵抗性の量的遺伝学的解析を発展させることも恐らく可能だったのではないかと思います。今後に期待したいと思います。