アメリカで研究するということ

アメリカで研究するということ

 

 ジョージア・テックで英語を学んでいた時を含めると、私はアメリカに3年近く滞在していたことになります。アメリカは車社会だということはよく言われることですが、私は日本においても車の運転免許を持っておらず、もちろんアメリカでも車を運転することなく生活していました。アトランタのような大都市であれば地下鉄も整備されていたので、買い物などにも比較的苦労することもなかったと思いますが、デラウェアではバスが通っていたものの、ショッピングセンターも比較的郊外にあり、やっぱり車がないと不便なところでした。私は学校に自転車で通っていましたが、ある時から、修理しても修理しても毎日のように車輪がパンクするようになり、しまいにはペダルの軸が壊れてしまい、デラウェア滞在の後半はアパートから学校まで、毎日30分くらいかけて徒歩で通うようになっていました。大型のスーパーが比較的近くにありましたが、それでも歩いてだと20分くらいかかり、しかも重たい荷物を抱えて歩いて帰るのはかなり大変なことでした。なので、修士論文をまとめている卒業間際の時のようにとても忙しくなってくると、買い物に行くのも億劫になってきて、30分かけて学校から帰ってきて、なおかつ買い物に行くことはなかなかできませんでした。だんだん食欲もなくなってきて、帰国間際には、かなり痩せてしまうことになってしまいました。精神的にも、かなりしんどい時期だったと思います。周りには親しい人もいなかったので、国際電話で親に愚痴を言うこともたびたびありました。

 

 私は、研究するためにアメリカに渡って来ました。でも、研究する以前に、アメリカで生活しなければならず、アメリカは車社会なので、車を運転することができなかった自分にとっては、車なしで生活すること、生きていくこと自体が大変だったといえるのではないかと思います。当たり前のことなのですが、やっぱり、留学とはいっても、研究や勉強だけやっていればいいというものでは決してないのだろうと思います。海外で研究すること、勉強することの難しさを思い知ったデラウェアでの留学生活でした。もっとも、現在に至ってもなお、私は車を運転したいと思うことはなく、車なしで生活しているので、車の運転については、恐らく宗教的な信念にも似たものだったのかもしれません。


 

 

 

アメリカに対する純粋な憧れがあったと思います。多くのことを学ばせてもらうことが出来ました。お世話になった先生方をはじめ、アメリカ滞在中にお世話になった多くの方々には感謝以外にありません。どうもありがとうございました。  三代