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筑波大学での研究(4)キイロショウジョウバエを用いた殺虫試験 ろ紙接触法

キイロショウジョウバエを用いた殺虫試験 ろ紙接触法

 以前にも述べましたが、殺虫剤抵抗性は、通常の感受性の個体であれば死亡してしまうような殺虫剤濃度や薬量の下で生存することができる能力として定義されるため、例えば酵素の活性や遺伝子の塩基配列を調べたとしても、最終的には、実際に殺虫剤の存在下で個体が生存するか否かによって、その系統の有する形質(表現型)を評価しなければなりません。なぜならば、もし集団中に複数の抵抗性因子が存在しているならば、1つの要因を調べたとしても、他の要因の存在によって表現型が変化してしまう可能性があるためです。遺伝子を取り扱う分子遺伝学的な手法は、金額的にも作業的にも派手であり、とても華やかそうにみえる一方で、殺虫試験は、学部の実習でも行われるような、とても基礎的な分析であり、地味で面白みのない実験のように思われる方も多いかもしれません。しかし、この殺虫試験の結果がなければ、どんなにDNAの塩基配列を調べてみたところで、ともに存在していた可能性がある他の遺伝子の影響を排除することができなくなってしまうので、殺虫剤抵抗性の研究において、殺虫試験の結果は決定的に重要な部分を構成していると思います。

 

 例えば、コロラドハムシのような、手の指の爪ほどの大きさのある個体が材料であれば、局所施用法といって、一個体ごとにある薬量の殺虫剤を、あらかじめ決められていた腹部のような部位に塗布することによって、殺虫試験を行うことができます。しかしショウジョウバエの場合、一個体がとても小さいので、コロラドハムシのように、一個体ごとにある決められた薬量を決められた部位に塗布することは、とても困難です。なので、ショウジョウバエを用いて殺虫試験を行っていた大先輩たちもいろいろと工夫され、例えば殺虫剤を混入した餌を幼虫に食べさせることによって検定するといったこともなされていたようです。

 

 私が筑波大学の進化遺伝学研究室に在籍していた時には、殺虫剤を使って実験を行っていたのは私以外にはいなかったので、私が用いる器具は、例えば通常の飼育用の瓶のような、研究室の他の学生も使うものとは、厳密に区別されていました。みんなが使う瓶で、殺虫剤が付いたハエを扱うな、というわけです。はっきりと言えば、嫌われて、つまはじきにされていたと思います。それゆえ、研究室の他の学生たちに迷惑をかけないように、殺虫剤を扱うのはできるだけ自分の周りだけで済むような方法を考えなければなりませんでした。筑波に来たはじめの頃に指導教官とともにうかがった、早稲田にある国立感染症研究所の先生方に教えていただいた方法も、一部参考にさせていただきながら、いろいろと試行錯誤を重ねて殺虫試験の手順を考えていきました。

 

 殺虫試験の方法は、主に用いる昆虫に依存してしまうことになるのだろうと思いますが、いろいろな方法があります。コロラドハムシであれば、先ほど述べたように、局所施用法を使えると思いますし、千葉大学の大学院で扱ったモモアカアブラムシであれば、薬液に一定時間(例えば15秒など)浸漬させたハクサイの葉にアブラムシを移植することによって検定したりもしました。私たちが筑波で使ったショウジョウバエ用の検定方法は、ろ紙接触法というものです。アセトンを溶媒として殺虫剤を希釈した溶液を、一定の大きさに切りそろえたろ紙片に滴下し、しばらく置いておくとアセトンは揮発してしまうので、アセトンとともに展開された殺虫剤がろ紙片に残留することになります。これらの殺虫剤が展開されているろ紙片に、一定時間(例えば24時間)ショウジョウバエを接触させることによって殺虫試験を行いました。小型の飼育瓶に、殺虫剤が拡がったろ紙片を入れて、そこにショウジョウバエ10個体を1つの反復として入れておき、逃げないようにガーゼで瓶の上部を覆っておきます。ショウジョウバエを飼育するために通常用いているインキュベーター(恒温器)の場合、このままでは乾燥のために死亡してしまうため、食パンを保存するためのプラスティック製の容器に水分を含ませたぺーパータオルを敷き、その上にショウジョウバエを入れた検定用の瓶をいれて、24時間後に個体の生死を判定しました。

 

 キイロショウジョウバエの1雌由来系統や同一の染色体を保有する系統を用いることが多かったためだと思いますが、私が用いたことがある農業害虫と比べて、系統内の変異がとても小さいという印象を受けました。これは系統内で抵抗性を評価できる幅がとても小さいことを意味します。なので、予備実験を行い、さらに本試験を何回も行いながら、データを集めることになりました。殺虫剤抵抗性の研究において、殺虫試験が地味だと嫌われて、一見華やかな遺伝子や酵素などの分子の解析が注目を集めてきたのは、こういったことも一つの理由なのだろうと思います。しかし何度も言いますが、殺虫剤抵抗性の研究においては、殺虫試験の結果のない酵素や遺伝子の解析には、意味がありません。ここらへんは、注意が必要なのだろうと思います。