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勝沼集団内の抵抗性の遺伝的変異

勝沼集団内の抵抗性の遺伝的変異

 

 勝沼で2年間、それぞれ夏と秋にキイロショウジョウバエ自然集団を採集し、採集したそれぞれの集団から1雌由来系統を作製しました。作製した系統の数は、1997年の夏集団からは52系統、秋集団からは499系統であり、1998年の夏集団からは80系統、秋集団からは246系統になります。それぞれの1雌由来系統は、採集した勝沼集団のそれぞれ1匹の雌に由来していますので、採集した勝沼集団のなかの1個体に相当する遺伝的変異を表すことになります。なので、作製された系統についてそれぞれ調べたのちに、個々の系統について得られたデータを季節ごとの集団で集計することによって、それぞれの季節ごとのキイロショウジョウバエ自然集団全体についての抵抗性の遺伝的変異についても洞察を得ることができます。つまり、採集されたときの個々の個体の遺伝的変異を表すそれぞれの系統を別々に詳しく調べることによって、個々の抵抗性遺伝子を詳細に調べることが可能となるとともに、得られたデータを集団ごとに集計することによって、集団全体としての遺伝的変異をまとめて分析することも可能になるわけです。簡単に言ってしまえば、個々の系統に存在する抵抗性遺伝子を分子遺伝学的に分析することが可能であるとともに、個々の系統のデータを集団全体でまとめて分析することによって、勝沼集団の遺伝的変異を統計的に量的遺伝学的に分析することも可能となります。このように、私たちが採用した1雌由来系統を用いたアプローチは、個々の抵抗性遺伝子のレベルと集団全体が示す量的な遺伝的変異のレベルとの間をつなぐ、殺虫剤抵抗性に関する2つの側面にアクセスすることを可能にするアプローチなのでした。これまでのアプローチでは、とかく殺虫剤抵抗性の個々の抵抗性遺伝子の分子遺伝学的な側面ばかりが強調されてしまい、J. F. Crowの染色体分析のような、集団全体についての結果は顧みられることが少なかったという印象がありますが、私たちが採用した1雌由来系統のアプローチであれば、殺虫剤抵抗性にまつわる2つの異なる側面にアクセスすることが可能であり、抵抗性の分子遺伝学的な分析と統計的な量的遺伝学的な分析が、それぞれ対立し矛盾するアプローチなのではなく、むしろお互いに相補するものであることを明らかにすることができると思います。

 

 それぞれの季節ごとに作製した1雌由来系統を用いて、パーメスリン(ピレスロイド剤)、マラチオン、プロチオフォス、フェニトロチオン(有機リン剤)、およびDDT(有機塩素剤)の5つの殺虫剤に対する感受性を、上で述べたろ紙接触法の殺虫試験によって評価しました。予備実験に基づいてあらかじめ設定しておいた1殺虫剤濃度のもとでの死亡率として、それぞれの1雌由来系統の感受性は評価されることになります。この殺虫剤濃度は、あまりにも低すぎてしまえば、死亡する個体が少なくなってしまうので、系統間の変異を評価することはできませんし、あまりにも高すぎてしまうと、逆にほとんどの個体が死亡してしまうので、同様に系統間の変異を検出することができません。理想的には、平均して50%の死亡率をもたらすような殺虫剤濃度の下で系統の感受性を評価することができれば、真ん中にピークがくるような頻度分布が得られるはずなのですが、もちろんすべての系統を評価し終えてはじめて、頻度の分布が判明することになるので、これは最後まで実際にやってみないと結果はわからないことになります。事実、いくつかの殺虫剤については、設定した殺虫剤濃度が高すぎた、もしくは低すぎたために、分布に偏りが見られたため、それまで得られていたデータをキャンセルして、途中で改めて設定した殺虫剤濃度の下で殺虫試験を行うことになりました。このようにして得られた個々の系統の死亡率データを、採集した季節ごとの集団として集計し、まとめて分析すると、それぞれの集団には、すべての殺虫剤に対して幅の広い連続的な変異が存在していることがわかりました。特に、キイロショウジョウバエの勝沼集団から作製された1雌由来系統を用いて得られた死亡率データについて、分散分析や相関分析などを用いることによって、3つの有機リン剤に対する感受性についての興味深い知見が得られました。一つは、2年間にわたり、勝沼集団における3つの有機リン剤に対する感受性が秋に上昇する傾向がみられたこと、そしてもう一つは、勝沼集団における3つの有機リン剤に対する感受性の間には、一貫してポジティブな相関がみられたこと、です。キイロショウジョウバエの勝沼集団において観察されたこの2つの現象について、以後進化遺伝学的に考察していくことになります。