遺伝的変異の季節的変動
1997年および1998年の7月(夏)にそれぞれ採集を行ったときには、実際に勝沼のブドウ園に仕掛けておいたトラップに集まっていたショウジョウバエを、結構採集することができました。ショウジョウバエの自然集団を研究の材料にすることに決めた以上、目的とするキイロショウジョウバエが採集できなければどうにもならないので、これだけ採集できれば、私の研究もそれなりの結果はだせるだろうと思っていたのですが、実験室に戻って実体顕微鏡の下で種の確認をしていたところ、採集された個体のほとんどはキイロショウジョウバエにとても良く似たオナジショウジョウバエでした。勝沼では、夏にはキイロショウジョウバエよりもオナジショウジョウバエの方が、より多くの個体が採集されていました。結果を楽しみにしていただけにちょっとがっかりしてしまったのですが、しかし秋には、結果は逆転し、オナジショウジョウバエよりもキイロショウジョウバエの方が、より多くの個体が採集されていました。勝沼はワインの生産地として有名であり、勝沼とその周辺地域にはブドウ園が一帯に拡がっています。実ったブドウが収穫され、ワインの製造過程で廃棄される多量のブドウの搾りかすを繁殖場所として、キイロショウジョウバエは秋に無数に増加することが知られていましたので(森脇、1979)、この採集の結果については、予期された結果であったといえるのではないかと思います。
先輩方、先生方の研究から、そして私自身の採集の結果からも示唆されるように、秋にブドウの搾りかすの上で大きくなる勝沼のキイロショウジョウバエ自然集団において、有機リン剤というクラスの殺虫剤に対する感受性が、秋に上昇する傾向が観察され、それは採集を行った1997年と1998年の2年間にわたって観察されたのでした。さらに、相関分析をおこなったところ、勝沼集団には、3つの有機リン剤に対する感受性の間にそれぞれポジティブな相関が存在し、その相関にも季節的な変動の傾向が観察されました(Miyo et al., 2000)。
まず、3つの有機リン剤に対する感受性の間にポジティブな相関が観察されたことについては、まあいろいろな仮説が考えられるだろうとは思いますが、それでも真っ先に考えられることは、勝沼集団には3つの有機リン剤に対する共通の抵抗性因子が含まれているということだろうと思います。これは交差抵抗性として知られる現象であり、特に同じクラスの殺虫剤の場合には、しばしば暗黙のうちに仮定されているメカニズムです。実際、3つの有機リン剤に対する感受性のレベルが、類似した季節的な変動のパターンを示し、さらに3つの有機リン剤に対する感受性の間にみられた相関が、類似した季節的な変動のパターンを示すという観察は、3つの有機リン剤に対する共通の抵抗性因子が勝沼集団に含まれているという仮説によって、とても合理的に説明することができると思います。
では、秋に有機リン剤に対する感受性が増大する季節的な変動のパターンについてはどうでしょうか。私たちはこの現象を、野外集団において観察された感受性の回復現象であるという仮説を立てました。つまり、有機リン剤に対する抵抗性の遺伝子型の間には生存率や繁殖率のような適応度に差があり、これらの適応度の差は、有機リン剤に対する共通の抵抗性因子によって一部産み出されている、というものです。つまり、有機リン剤に対する共通の抵抗性因子が、抵抗性の遺伝子型の適応度に対して、有害な効果もしくは適応度のコストをもたらしているという仮説です。なので、夏の間はブドウ害虫の防除のために散布された殺虫剤の選択圧にさらされ、抵抗性遺伝子の頻度も勝沼集団内において上昇しているでしょうが、秋にブドウの搾りかすの上で大量に繁殖するときに、抵抗性の遺伝子型は感受性の遺伝子型よりも繁殖において劣るため、抵抗性遺伝子の頻度は勝沼集団の中で低下し、3つの有機リン剤に対する感受性のレベルが上昇していくのではないかと考えました。もちろん、適応度には様々な形質が関わっています。個体の適応度を完全に把握しようとすれば、いくつもの適応度成分について実験し、観察しなければならないだろうと思います。しかしそれは現実的には不可能です。そこで私たちは、特に、勝沼が秋に大集団を形成するというこれまでの知見、および私たちの採集での経験に注目しました。つまり、集団が大きくなる増加過程で自然選択が働き、抵抗性に比べて感受性の遺伝子型の方が、増加率が大きいのではないかと考えました。なぜならば、集団が大きくなる過程では、遺伝子型の増加率が集団の遺伝的組成に対して大きな影響を持っているためです(Charlesworth, 1994)。また、勝沼のキイロショウジョウバエの場合には、個体数の変動パターンは山型を示し、秋にピークがきて、11月12月にはすぐに減少していくという知見があることから(森脇、1979)、集団の増加過程に注目したのは極めて妥当であったと考えています。
勝沼のキイロショウジョウバエ自然集団の個体数変動の概略。(森脇大五郎著『ショウジョウバエの遺伝実習 分類・形態・基礎的実験法』1979年 培風館、 147ページの図7-1より)