殺虫剤抵抗性研究が抱えるジレンマ
ここで注意しておきたいのですが、以前の節でも議論したように、勝沼の自然集団から作製した感受性系統は、感受性系統として一般に用いられている実験室標準系統といわれている系統よりもわずかながら抵抗性レベルが高い場合もみられました。一般的な実験室系統と比べて抵抗性レベルがわずかばかり高い以上、何らかの抵抗性因子を保有している可能性は否めないと思います。つまり、実験室標準系統を基準とした場合には、私たちの実験で用いた感受性系統は抵抗性ということになるのだろうと思います。しかしそれでも、実験に用いた抵抗性系統と比べれば、感受性としか他に表現のしようがありません。例えば、集団内の抵抗性遺伝子の頻度が1であり、集団のすべての個体が同じ抵抗性遺伝子を保有しているならば、集団には抵抗性に関する変異は存在していないことになりますので、集団内には抵抗性も感受性もないことになります。その集団が抵抗性と認識できるのは、その集団とは別の異なる集団、例えば実験室標準系統と比較した場合になるのだろうと思います。しかし上で議論したように、実験室標準系統が勝沼集団の感受性の遺伝子型を代表することはできない以上(なぜならば、勝沼には存在していなかったので)、抵抗性や感受性の基準として実験室標準系統を用いるべきではないと考えます。もし興味が、純粋に抵抗性遺伝子それだけにあるのであり、勝沼の自然集団における抵抗性の遺伝的変異のダイナミクスについて検討するということでなければ、実験室標準系統を感受性の標準として用いることも、あるいは可能になるのではないかと思いますが、その場合には純粋に抵抗性遺伝子の分子遺伝学という範囲内での研究ということになるのだろうと思います。ただそれは、私の筑波大学大学院での研究テーマではありませんでした。これまで私も、抵抗性、感受性というように、性質をあらわす言葉を用いて抵抗性という形質を表現してきましたが、これまでたびたび主張してきたように、殺虫剤抵抗性は、ある基準を設定してはじめて抵抗性であるか、感受性であるかを定義することができるものなので、実際のところ、抵抗性は量的に扱わざるを得ないのだろうと思います。殺虫剤抵抗性の概念について、今後さらに議論が重ねられることを期待しています。
また、集団中に抵抗性遺伝子がいくつ含まれているかわからない以上、どれだけ精密に分析しようとしても、特定することができていない抵抗性遺伝子の潜在的な影響を排除することはできないだろうと思います。例えば、私たちが実験に用いた感受性系統には、実験室標準系統を基準とした場合には抵抗性因子が含まれている可能性がありますが、たとえそうであったとしても、それを明らかにするためには、その感受性系統よりもさらに感受性の系統を勝沼集団から見つけ出し、その系統を感受性系統として染色体を置換するといった、上述の実験手順を踏まなければならないことになります。それをするだけの金銭的、時間的、労力的な価値はあるのか、慎重に判断される必要があるだろうと思います。微弱な効果を持った抵抗性因子の存在は、殺虫剤抵抗性の研究には絶えずついて回ることになるのかもしれませんが、その微弱な効果を分析するとしても、恐らく、近交系統や染色体置換系統を作製していくうちに、有意な効果として検出することができなくなってしまう可能性が高いだろうと思います。そのようなリスクを冒すだけの価値はあるのか、問題になってきます。それだからこそ、これまでたびたび主張してきたように、個々の抵抗性因子を分析するだけではなく、集団の遺伝的変異のレベルにおいてまとめて分析することによって、分析している個々の遺伝子の、集団の遺伝的変異に及ぼす相対的な効果を評価する必要があるのであり、個々の抵抗性遺伝子の分析だけでなく、集団レベルでの分析をともにおこなうことによって、お互いの分析を相補する必要があるのだろうと思います。すなわち、集団レベルでのデータには、分析している抵抗性遺伝子だけでなく、それ以外の特定されていない、もしくは特定することができない抵抗性遺伝子の効果も含まれるため、集団のレベルでまとめて分析することによって、特定されていない潜在的な抵抗性因子の効果も、トータルした形で評価されていることになります。なので、もし分析している抵抗性因子が集団において主要な役割を果たしているならば、集団の全体的な変動のパターンと、分析している抵抗性因子の特性から期待されるパターンは一致すると考えられ、このような観点から、その抵抗性因子が集団において果たしている役割の相対的な大きさを評価することが可能であると私は考えています。この件については、後の章で改めて議論したいと思います。