研究とは何か?
みなさんは、研究と聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか? 近年は日本人研究者のなかにもノーベル賞を授与され、マスコミをにぎわすような研究をされている先生方もいるので、あるいは華やかな世界を想像する人も結構いるのかもしれません。なかには、世界をあっと驚かせるような研究をする人もいるのかもしれませんが、でも少なくとも筑波大学進化遺伝学研究室での私の研究生活はそういうものではありませんでした。ショウジョウバエは現代遺伝学の礎を築いてきた生物であり、その生物を扱う研究室ということで、私のように、それまで農学系の他の昆虫を扱う研究室を渡り歩いてきた身としては、それまでとは異なる研究室の特色がいろいろとみえてきました。特筆すべき特徴の一つは、可視突然変異系統をはじめ、とても多くの系統が研究室で飼育されていたことだろうと思います。それぞれの学生が自分の実験のために作製した何百、何千という系統もありますが、それに加えて、研究室で飼育されている多くの系統があり、それらは研究室の共通の財産ということで、学生の間で分担して飼育していました。私の場合、当時どれくらいの数の系統を維持していたか正直わかりませんでしたが、平日は実験やセミナーで発表する論文の勉強などで一日中費やしていたので、ショウジョウバエを継代的に維持するために餌を交換するという作業は、週末の土曜日や日曜日に行うようにしていました。系統維持のために一回餌を交換すると、何百本という古い餌の瓶が出てくるのですが、今度はその汚れた瓶を洗わなければなりません。これも研究室の共通の仕事ということで、学生の間で順番に分担していくのですが、研究室に入りたての頃は、数百本もある汚れた瓶を実際に目の前にして、途方に暮れて、ため息をつきたくなるような気分だったと思います。魚屋さんがはくような、膝まであるような長靴を履いて、前側全面をすべて覆ってしまえるような大きめのエプロンで武装し、そして、なりふり構わずバシャバシャとひたすら数百本の汚れた瓶と格闘していました。さらに、系統を維持するためだけでもそれだけの餌が必要になるのですから、その餌を必要なだけ供給する必要があります。筑波大学の研究室では、ショウジョウバエの餌もまた、学生の間で順番に担当して、週の決まった曜日に、自分たちで作っていました。学校給食を作るときのような、何十リットルも入るような大きな寸胴鍋に材料を入れて煮詰めていきます。筑波大学にはちょっと大掛かりな分注機があり、大きな寸胴鍋からその大掛かりな分注機を使って、何百本、何千本もある瓶に注いでいきます。これらの作業は、いわばルーティンの作業であり、そのうえで、自分たちの実験やセミナーの準備をしなければなりませんでした。最初の慣れないうちは、例えば瓶洗いをしたときにも、必要以上に時間がかかりましたし、ずっと立ったままで作業しなければならなかったので足もパンパンになり、腰も辛かったのですが、慣れてくると、本当に、これらの作業はなんでもなくなりました。今となっては懐かしいですし、冷やかしで瓶洗いをまたやってみたいと思わないでもありませんが、でも最初のうちは、何百本もある餌を交換したり、何百本もある汚れた瓶を洗ったりすることも大変に感じてしまい、嫌々やることもあったと思います。でも慣れてしまえば、本当に何でもなくなってしまいます。筑波を卒業した後、武者修行のためにイギリスのエジンバラ大学のショウジョウバエの研究室でお世話になっていた時には、大学院生であった筑波大学のときよりも精神的にも肉体的にもさらに忙しかったと思いますが、それでも数年間の研究生活に耐えることができたのは、筑波大学で鍛えてもらったおかげだったと思います。さらにその後、就職先を見つけられないまま、実家でこれまで行ってきた研究を論文として整理などをしていた時に、製パン工場でアルバイトをしていたことがあります。大きな製パン工場でアルバイトをしたことがある人ならわかってくれるだろうと思いますが、多くの部署の中の一つに、アンパンのヘソ押しという仕事があります。ちょっと高めのアンパンをみてみると、アンパンの中央にヘソのようなくぼみのある場合があると思いますが、そのアンパンのヘソは、機械で付けられるのではなく、作業員がハンコのようなスティックをもって、一つ一つのアンパンの生地に実際にそのスティックをおしつけることによって、つけられています。ベルトコンベアーで、それこそ何千、何万というアンパンの生地が、延々と目の前に連なってくるのですが、その一つ一つのアンパンの生地に、ペッタンペッタンとヘソを押す仕事を、これまで何回か行ったことがありますが、それをなんの苦も無く行うことができたのも、筑波で鍛えてもらったおかげだったと思います。アンパンのヘソ押しをしていた時に、筑波大学の研究室で餌替えをしていたときや瓶洗いをしていた時のことをたびたび思い出していました。研究というのは、瓶洗いや餌替えのような一つ一つの小さな作業の膨大な積み重ねなのであり、多分研究を行ったことのない人にはそれをわかってもらうことはできないのではないかと思います。それは研究のことだけでなく、人生もまた同じようなものなのではないかと思います。筑波大学の進化遺伝学研究室では、生きていくうえで、とても多くのことを教えていただいたと思います。筑波大学での5年間がなければ、エジンバラ大学での武者修行もなかったでしょうし、エジンバラでの数年間がなければ、今の自分もなかっただろうと思います。
入学試験の時から、筑波大学の指導教官には迷惑ばかりかけてしまっていたと思います。面倒な学生で申し訳なかったとは思いますが、それでも千葉大学にいたときから夢見てきた、殺虫剤抵抗性の進化遺伝学的解析を実際に行うことができ、本当に良かったと思います。指導教官には感謝以外ありません。
筑波大学大学院の入学試験以来、他の先生方から、いろいろと言われることが多かったのではないかと思いますが、指導教官は何も言わず、5年間、私の思ったようにやらせてくださいました。筑波大学で5年間鍛えてくださらなければ、その後のエジンバラ大学での研究生活もなかったでしょうし、エジンバラでの研究がなければ、今の自分もなかったと思います。指導教官には感謝しかありません。 三代