集団の増加過程の理論的研究
筑波大学での自分の研究において、私がもっとも興味を持っていたことは、殺虫剤抵抗性という形質に関わる遺伝的変異の、集団内における維持ということなのだろうと思います。殺虫剤を散布し続ければ、抵抗性遺伝子の頻度は上昇していきます。さらに殺虫剤を散布し続ければ、すべての遺伝子が抵抗性遺伝子となってしまうと思われるかもしれませんが、そうなることはあまりないと一般的には言えるのではないかと思います。一つの理由は、私たちの筑波大学での研究で示唆されたように、殺虫剤抵抗性という形質と、繁殖や生存といった適応度形質とが何らかの形で関わっていると考えられているためです。殺虫剤を散布している状況では抵抗性遺伝子を保有することは有利になりますが、殺虫剤が散布されていない状況では、繁殖や生存に対するネガティブな効果のために、その頻度を減少させていく、というわけです。殺虫剤を散布する期間と散布しない期間があり、それらの間で、増えては減る、増えては減る、というような周期的(季節的)な変動をするために、抵抗性・感受性の遺伝的変異が集団内において維持されているということが、私たちの筑波大学での研究から示唆される中心的な結論の1つであったと思います。
害虫を防除するために殺虫剤を散布する以上、殺虫剤抵抗性の発達は不可避的な帰結であると以前議論しましたが、その中で、殺虫剤抵抗性とともに、殺虫剤に対する感受性がなくならずに維持される集団遺伝学的メカニズムに関する研究は、当然のことながら、実際に農業を営んでいる農家の人々にとっても有用な知見になりうるだろうと思いますし、それとともに、殺虫剤抵抗性という形質を離れて、集団の中に遺伝的変異が維持されるメカニズムそのものについては、昔から集団遺伝学や進化遺伝学の領域で論争を巻き起こしてきた、重要なトピックでもありました(向井, 1978)。私たちの筑波大学の研究の中で示唆された、抵抗性・感受性の遺伝的変異の維持のメカニズムは、いわゆるアンタゴニスティック・プレイオトロピー(拮抗的多面発現作用)といわれるものですが、殺虫剤抵抗性という形質を離れて、アンタゴニスティック・プレイオトロピーという遺伝的変異の維持のメカニズムそのものが集団遺伝学や進化遺伝学という研究領域における重要なトピックであり、殺虫剤抵抗性という形質から離れることもやむを得ないと考えていたこのとき、抵抗性との関わりの中で勉強し研究してきたこの集団内における遺伝的変異の維持のメカニズム自体について研究したいと思うようになっていました。このテーマについてだけでも、多くのアプローチが考えられると思いますが、私は千葉大学大学院で殺虫剤抵抗性と生育阻害との間の関係について研究していた時に行き詰った経験から、生理・生化学的なアプローチではこのメカニズムの正解にはたどり着けないと考えていたので、数学的なモデルを使ってアプローチする道を模索するようになっていました。千葉大学在学中に、集団遺伝学の教科書の中で出てくるような章末の問題を解きながらトレーニングしていた時から、殺虫剤抵抗性の研究における数学的なモデルを用いたアプローチの可能性については興味を持っていたこともあり、殺虫剤抵抗性とは直接関わらなくなってしまうこのときに、より根本的な問題に対する数学的なモデルを使ったアプローチを勉強できれば、それを用いて、いずれ抵抗性の発達に関する研究にも適用することができるようになるのではないかと考えたためです。
集団遺伝学という分野は、遺伝学的な現象について、主に数学を用いてアプローチしていく遺伝学のなかの一つの領域です。もちろん、数学的な理論だけではなく、さまざまな実験や観察を必要とするテーマもあるので、ただ数学だけで議論が進んでいくわけではありません。筑波大学での研究のなかで、勝沼のキイロショウジョウバエ自然集団について、ブドウの搾りかすの上で集団が大きくなる秋に殺虫剤に対する感受性が増加するという観察から、殺虫剤抵抗性と集団の増加過程における繁殖能力との関わりに注目してきましたが、この集団の増加過程における遺伝的変異の変動に関する理論的な研究の世界的権威である、エジンバラ大学の教授にコンタクトを取り、博士号を取得した後に教授の下でポスドクとして武者修行することが可能かどうかについて問い合わせたのでした。
例えば、ポスドクなどといった、博士号取得後の就職先を他の研究者たちがどのように探していたのかは、私自身よく知りませんし、多分聞いても教えてくれないのではないかと思います。まあ、誰がどこの研究室に行くということは、本人の意思とはかかわりなく、もうすでに決まってしまっているのかもしれないのですが、そこらへんの事情は私にはわかりません。私の場合、千葉大学大学院を卒業して以降、すべて自分で進路を探してきました。デラウェア大学大学院しかり、筑波大学大学院もまたしかりです。筑波大学の指導教官も、博士課程修了後の就職先は自分で探しなさいという方針だったと思うので、自分で探すことにしました。
学位論文をまとめているときに、ちょうど集団の増加過程における遺伝的変異の変動についての理論的研究に関する本を読んでいたので、その著者に直接コンタクトを取ってみることにしました。その時読んでいた本は、『Evolution in Age-Structured Populations(エイジ構造をもった集団における進化)』というタイトルでしたが、集団遺伝学の分野でもかなり有名な教授であり、集団の増加過程に関する理論的研究の世界的権威でもあったので、まあ内心ダメでもともとといった気持ちで、この本の著者であった教授をインターネットで検索してメールのアドレスを探し出し、博士取得後のポスドクとしての修行の可能性について、電子メールで問い合わせたのでした。
見ず知らずの他人からメールを受け取って、それに対して返事を書いてくれることは、多分滅多にあることではないと思います。なので、本を読んで、その著者にメールを出して質問し、それについて返事まで書いてくれることは、通常であれば、なかなかないことだったのかもしれません。でも、このときには、この教授から、イギリスのロイヤル・ソサエティ(王立学会)と日本の財団が提供していたフェローシップのことを教えていただき、そのフェローシップをとることができたならば、受け入れも可能であるとのご返事をいただいたのでした。博士課程の卒業を前にした2001年の9月に、この教授が教鞭をとられていたイギリス・スコットランドのエジンバラでショウジョウバエのミーティングもあることから、その学会で自分の研究について発表する傍ら、それとともにエジンバラで実際に教授にお目にかかり、ポスドクについてお話しをうかがうことになったのでした。
筑波大学大学院の後半で、集団の増加過程における自然選択の理論について勉強していた時に読んでいた教科書です。筑波卒業後の就職先についてあれこれと考えていたときに、見ず知らずではありましたが、ちょうど勉強していたこの本の著者であったエジンバラ大学の教授に、不躾ながらもメールを出し、ポスドク研究の可能性についてうかがったのでした。私にとって、“運命の一冊”とも言える本だったのではないかと思います。 三代