生活史の進化に関する研究
日本に戻ってから、学位取得のために学位論文をまとめたり、投稿論文をまとめたりするとともに、エジンバラの教授とコンタクトを取りながら、ロイヤル・ソサエティと日本の財団が提供していたフェローシップに応募することになりました。2002年の3月に筑波大学大学院を無事に修了することができ、博士(生物科学)を授与されましたが、幸いなことに、応募していたフェローシップを得ることができ、5月からエジンバラ大学の教授の下で、1年間武者修行をさせていただくことができることになり、先生の研究室で、老化の進化に関する実験に関わらせていただくことになりました。老化の進化に関する研究に加わらせていただきながら、それとともに生活史形質の進化についても勉強させていただき、これまで私が行ってきた殺虫剤抵抗性の研究にも、勉強した知見を活かしていけるように、貪欲に学問・研究に打ち込もうという希望を抱いて、エジンバラにやってきたのでした。
老化の進化と聞いて、日本人の中でどれくらいの人がすぐに得心することができるのか、正直わかりません。でも恐らく、あまり多くはないのではないかと思います。老化と聞くと、老化現象や老人、老衰というような言葉とともに、年をとり、衰えていくといった、ネガティブなイメージを持たれる人が多いのではないかと思います。一方、進化と聞くと、進歩や発展といった、ポジティブなイメージを持たれる人が多いのではないかと思います。なので、老化の進化と聞くと、なんだか矛盾しているようで、退行しているのか進歩しているのか、いったいどっちなんだと思う人もいるのではないかと思います。私自身、それまで殺虫剤抵抗性というテーマの中で研究してきたので、私も老化の進化について考えたことはありませんでした。でもよくよく考えてみると、とても興味深い研究テーマであることがわかります。このような、自分が考えたこともないようなテーマに触れることができ、それらについて実際に研究されている先生のもとで修行することができたことは、私自身とても幸福だったと思いますし、このような機会が与えられたことは幸運なことだったのだろうと思います。
この1年間のフェローシップ期間中に私が実際に関わらせていただいた実験は、筑波大学時代に主に行っていた殺虫試験の場合と同様に、キイロショウジョウバエの死体のカウントが主な仕事でした。まず、エジンバラ滞在の最初の頃に、プラスティック製の水槽を改造して、集団飼育箱(ケージ)をいくつも作ってもらいました。大学に工作室のような部局があり、先生や大学院生の希望に適うような装置を、ガラスやプラスティックを使って、とても器用に工作してくれていました。それがとても素晴らしい出来だったので、その職人技に感動したことを覚えています。昔は日本にも、大学のなかの一つの部局として、このような工作室があったと聞いたことがあるのですが、今はどうなってしまったのかと思います。その集団ケージの中に、未交尾の雄のハエをおよそ800匹入れておきます。対照区として、雄雌それぞれ、およそ400匹からなる集団ケージも作っておきます。1日おき、もしくは2日おきに、ケージを観察し、ケージの底に横たわっているハエの死体を集め、カウントするわけです。文章で書くと、数行で終わってしまい、何事もなく通り過ぎてしまわれるのかもしれませんが、例えば、プラスティック製の飼育箱の中で800匹近いハエが飛び回っており、その飼育箱の中に手を突っ込んで、ハエの死体を拾い集めるという仕事について、みなさんは想像することができるでしょうか。ケージに手を突っ込むときに、中にいる800匹のハエが逃げ出さないように注意しなければなりません。そんなことできるのかと思うかもしれませんが、慣れればできるようになります。1つのケージを作ると、その中のすべてのハエの個体が死亡するまでに、だいたい3か月近くかかることになります。私はこのときの1年間に50以上のケージを作り、拾い上げたハエの死体は45000匹以上になりました。これだけのハエが入っているケージですから、例えば、関係のないハエが混入してしまう可能性もあったのではないかと思う人もいるのではないかと思います。しかし、そのようなことは、恐らくなかっただろうと思います。といいますのは、ケージの中にハエの餌となるプレートを入れておくのですが、例えば、もし雌のハエが混入してしまえば、交尾してプレートに産卵し、幼虫が這いまわっているというようなことになってしまうので、雌が混入してしまった場合にはすぐにわかってしまうためです。例えば、雄のみのケージにおいて、実際に餌のプレート上で、ハエの幼虫を観察したことは、私が行っていた実験では一度もありませんでした。
多いときには1日に20ケージ近くから死体を拾い集めなければならないこともあったのですが、毎日忙しく、そして勉強もまた、とても興味深かったです。先生はすでに世界的にも著名な研究者であり、生活史の進化に関する理論的・実験的な研究の世界的権威でもありましたが、私たちが実験室でショウジョウバエの未交尾個体を集めるなどというような作業を行っている中で、毎日のように、実験室の顕微鏡のまえに座って、ショウジョウバエのカウントをしていました。研究や学問に対する姿勢といいますか、生物学者というものは自然現象や生命現象に対する好奇心をいつまでも持ち続け、あくなき探求を続ける学徒なのだということを教えていただいたと思います。私も見習わなければと思いました。
1年目が終了した後も、そのままおよそ2年半の間、先生の老化の研究や産仔数の研究に関わらせていただくことができ、とても勉強になりました。多分、自分の人生の中で一番脂がのっていた時だったのだろうと思います。とても充実した時間を過ごさせていただいていたのではないかと思います。今回は殺虫剤抵抗性の研究について振り返ることが目的なので、このときに行った老化の進化や産仔数の進化に関する実験の詳細については、Miyo and Charlesworth (2004)やCharlesworth et al. (2007)などを参照していただければと思います。
このようなプラスティック製の水槽を改良した集団飼育箱に、およそ800匹のショウジョウバエを放ちます。このような飼育箱をいくつも作って、毎日のように、箱の底に横たわっているハエの死体を拾い上げていました。この写真の中に見える小さな点々がショウジョウバエです。
私はエジンバラ滞在中、花粉症と思われる鼻炎にとても悩まされていました。この飼育箱の中に手を突っ込んでいるときに、鼻水が垂れてくることがよくあり、鼻水をかむために突っ込んでいた手を抜くこともできなかったので、垂れるにまかせて作業を続けていました。周りで作業している人たちからは、恐らく気味悪がられてのではないかと思いますが、なりふりかまっていられませんでした。 三代