以前、某総理大臣経験者が吉田松陰のことを「松蔭先生」と呼んでいるのをテレビで見たことがあります。私自身も吉田松陰のことを尊敬していたので、正直不愉快に思いました。「吉田松陰はお前の先生じゃないだろう! 吉田松陰に失礼だ!」と心の中で毒づいていました。
亡くなられている偉大な集団遺伝学者のことをどのようにお呼びすればいいかとても迷いました。しかし、直接指導を受けたこともなく、また直接お目にかかったこともない私が、「向井先生」と呼ぶことについて、私自身違和感を感じますし、私が某首相経験者に対して抱いたような不快感を持たれる方も多いのではないかと思いました。なので、あえて敬称は使わないことにさせていただきました。ご意見やご忠告などございましたらご連絡ください。よろしくお願いします。 三代
向井輝美の分散分析
最新のものではなくても重要な研究はあるという意味で、私にとって重要な研究に、日本人研究者の大先輩である向井輝美によって、主に1970年代に行われた一連の研究があります。上述したバランサーという染色体をうまく用いることによって、ショウジョウバエの適応度を構成している一つの成分である生存力という形質の、主に自然集団における遺伝的な変異について、多くの研究を残されていました(向井、1978)。
これまで述べてきたように、私は純粋なショウジョウバエ研究者ではなく、農業害虫を扱う研究室を渡り歩いてきたので、日本人の偉大な集団遺伝学研究者である向井輝美が行ってきた一連の研究のことについては、あまり馴染みがありませんでした。実際、系統間の掛け合わせに用いる、遺伝的な変異をできるだけなくした系統を作製する際には、一般的に行われていたバランサーによる染色体抽出という方法を用いずに、近縁個体間での交配を何世代も繰り返すという方法を採用していたくらいです。なので、筑波大学時代には、向井輝美の研究に触れることは、ほとんどなかったと思います。しかし、エジンバラでお世話になっていた先生が当時行われていた実験や、先生が行われたセミナーなどで、たびたびMukaiという日本人研究者の名前を耳にするようになったのでした。David et al.(2005)が、1雌由来系統について得られたデータに関する分散分析から遺伝的分散(集団が示している全体的なバラツキの中で、遺伝的な要因に帰属されるバラツキ)を推定することについての総説的な論文を発表し、それをエジンバラ滞在中に読んだこともあり、エジンバラにいた間に、向井輝美が発表した一連の論文に触れることになりました。日本にいたときにはほとんど触れることがなかった日本人の大先輩による研究を、いわば逆輸入したようなものなのだろうと思います。向井輝美が初めて発表した論文から晩年に近い頃に書かれた論文まで、その多くをエジンバラで読んでいく中で、1970年代当時の研究の躍動感が論文から感じられ、読んでいてとても魅了されたのでした。これはもう好みの問題なのだろうと思いますが、向井輝美の研究に限らず、私はこのころに書かれた集団遺伝学や進化遺伝学の論文にとても魅かれています。現在となっては、もう新しくはないのかもしれませんが、当時の躍動感といいますか、研究のダイナミックさが感じられますし、正直、生まれてくるのが少し遅かったと残念にさえ思っています。その場に自分がいられなかったことが、とても残念です。実際に、奨学金の返済の問題や研究費の問題を経験し、私自身50歳を過ぎてしまった今、現在の研究や学問の世界には、あまり躍動感というか、ダイナミックさが感じられず、とても寂しく思っています。なので、なおさら、1970年代、80年代の研究に魅かれてしまうのかもしれません。
筑波大学時代には、1雌由来系統の殺虫試験の死亡率データを、採集した集団の季節ごとに集計してまとめて分析するなかで、感受性レベルの変動を観察していましたが、実際に、殺虫剤に対する抵抗性の特性が異なるいくつかの抵抗性系統、感受性系統が得られ、それらのうちのある系統については、異なる抵抗性遺伝子を位置決定していたので、勝沼集団に抵抗性の遺伝的変異が存在し、それらが季節間で変動しているという考察はできましたが、しかし、筑波大学時代に得られた1雌由来系統の死亡率データに対して、向井輝美やDavid et al.(2005)が行ったような分散分析を行い、抵抗性に関する遺伝的変異を分割することができれば、より明確な形で、集団内における抵抗性の遺伝的変異のダイナミクスに関する洞察が得られるのではないかと考えました。つまり、集団内の抵抗性の遺伝的変異の変動を、集団の抵抗性レベル(平均値)と抵抗性の遺伝的なバラツキ(分散)という2つの側面から把握していくことができるようになるわけです。そのことを考えると、ゆっくりと座っていることができなくなり、筑波大学の研究室に置いてあった、私が行った1雌由来系統の殺虫試験のデータを取りに、イギリス・スコットランドのエジンバラから急遽筑波に向かうことになりました。ありがたいことに、このとき、筑波大学時代の指導教官が、筑波大学卒業後に私が行ってきた老化の進化に関する研究や、殺虫剤抵抗性の集団動態に関する研究について、筑波大学において、セミナーで発表させていただく機会を設けてくださったのでした。一応形の上では、セミナーで発表するために帰国することになるので、ただデータをとりにイギリスから日本に帰るだけという、ちょっと寂しい事態を回避させてくださったのでした。