個体数と遺伝子頻度を同時に考慮すること
季節的な抵抗性レベル(平均値)の変動とともに、筑波大学時代に行った1雌由来系統の殺虫試験データに対して、向井輝美が行ったような分散分析を行うことによって、集団内にみられた殺虫剤に対する感受性のバラツキ(分散)の変動を、数値としてより明確に把握することが可能になりました。以前にも説明したように、私がエジンバラに来た大きな目的の一つは、このような、勝沼のショウジョウバエ自然集団で観察された殺虫剤抵抗性の遺伝的変異のダイナミクスを、集団モデルを用いて説明することができるようになることでした。このような生物学的現象は、生理・生化学的に研究し、至近的なメカニズムを探求するという戦略も一方ではあるのでしょうが、そのようなレベルではなく、私がこれまで試みようとしてきたことは、これらの変動の過程を集団遺伝学的に解析して、抵抗性の季節的な変動に関する進化・集団遺伝学的な究極的メカニズムに関する洞察を得ることでした。つまり、抵抗性の遺伝子型の間で、集団の増加過程に関わる繁殖力や生存力などの適応度に差があり、抵抗性の遺伝子型は感受性の遺伝子型よりも適応度が劣るために、大きくなった集団内では抵抗性遺伝子の頻度が低下し、そのために感受性が回復するという仮説に基づいて集団モデルを構築し、実際に観察されたような、抵抗性レベルの変動と遺伝的なバラツキの変動が産み出されるかどうか、について検討を行うことであったわけです。
例えば、殺虫剤抵抗性に関して、一般的な集団遺伝学のモデルでは、抵抗性遺伝子の相対的な頻度に基づいて議論されることが多いのではないかと思います。この場合、例えば、集団が増加しているのか、定常的なのか、あるいは減少しつつあるのかについては、明確に議論することはできないのではないのかと思います。しかし、これまでも何度か議論してきたように、害虫がなぜ害虫であるのかといえば、農業作物や人間の健康に対して大きな害を及ぼしてしまうくらいに集団が大きくなってしまったから害虫なのであって、そのような被害を及ばさないレベルまで集団の密度を抑えられるように、人間はこれまでの歴史の中で害虫と闘ってきたのではないかと思います。すなわち、昆虫集団の個体数は、殺虫剤抵抗性を考えるときには、避けて通ることはできない側面なのではないかと私は考えています。なので、殺虫剤抵抗性の集団内における遺伝的変異の変動を考えていきたいのであれば、集団内における抵抗性遺伝子の相対的な頻度だけではなく、集団の個体数の変動に対しても、同時に考えていかなければならないことになります。
ただ、この集団の個体数が増加しながら、遺伝子頻度が変化していく過程をモデル化することは、ちょっと考えていただけるとわかると思いますが、とてつもなく複雑なプロセスといえます。なぜかといえば、人間やショウジョウバエでは、例えば1年生の植物のように世代がはっきりと分かれておらず世代が重なっている(重複世代である)ため、集団の中にエイジ構造を考慮しなければならず、それゆえ繁殖を行う時に、例えば交配相手のエイジですとか、自分が交配するタイミングのような事柄についても設定しなければならなくなりますし、そもそも、異なる遺伝子型の間で交配し、子孫の間で複数の遺伝子型が絶えず産み出されてくる繁殖のプロセスを、どのように明確に設定するのか、ということがあるわけです。1つの遺伝子型からなる単一集団についての増加過程でさえも、エイジ構造を考えに入れると、考慮しなければならない次元はエイジの分だけ飛躍的に大きくなりますし、さらに複数の遺伝子型を考えに入れてしまうと、はっきりといってしまえば、これはもうお手上げとなってしまいます。このような、エイジ構造を考慮に入れた集団の遺伝的な変異の複雑なダイナミクスに関して、集団遺伝学的なモデルを用いて研究されてきたのが、エジンバラでお世話になった先生なのでした。