エジンバラでの教え
イギリスの研究
前の方でも簡単に触れましたが、私はエジンバラでは、老化の進化に関するプロジェクトに関わらせていただいていました。例えば人間であれば、乳幼児としてこの世に生まれてきた個体は、親に育てられて成長し、やがて成人となって繁殖し、その後年老いて、最終的には死を迎えることになります。私自身、実際にエジンバラに行くまでは、老化の進化について考えたことなどなかったように、老化や死という生物学的な現象は、多くの人々にとってはあまりにも当然のことなので、恐らくその進化について考えたことなどないだろうと思います。しかし、進化学的によくよく考えてみますと、この生物学的現象を進化の観点からうまく説明することはかなり難しいことがわかっていただけると思います。といいますのは、生物の長い長い進化の過程を考えたときに、集団の中で不利な形質を持った個体は排除され、有利な形質を持った個体は次世代により多くの子孫を残していくという自然選択の働きを考えると、明らかに有害である生物の老化とその最終的な帰結である死が、なぜこのように生物の世界では普遍的にみられ、不老不死の個体や、永遠に子供を産み続けられるような生物へと進化してこなかったのか、という疑問が提起されるためです。この問題に対して、ショウジョウバエという昆虫を用いて実験し、集団遺伝学的な理論を用いて数学的に検討されてきたのが、エジンバラ大学でお世話になっていた教授でした。私はエジンバラでは、800匹近くいるショウジョウバエの集団飼育箱から、死体を拾い集めてカウントするということを毎日のようにおこなってきました。エジンバラに滞在していた3年半の間に、トータルすると10万匹近くのショウジョウバエの死体を拾い集め、カウントしたことになるのですが、これらの作業は、老化の進化に関する進化遺伝学的な研究へとつながっていたことになります。例えば、なぜ人は年老いていくのか、なぜ人は死ぬ運命にあるのか、といった疑問は、一見したところとても哲学的な疑問のように思われるかもしれませんが、れっきとした生物学的な問題でもあり、集団遺伝学や進化遺伝学の中の、生活史(ライフ・ヒストリー)の進化というようなセクションで取り扱われているテーマになります。
日本では、老化といえば、がんや心臓血管系疾患などのような、主要な死亡原因などとともに、主に医学の世界で扱われており、老化の進化的側面のような、医学とは直接かかわりのないテーマについては、なかなか目が向けられないのではないかと思います。例えば、アンチエイジングや、お肌の弛みなどといった、なんだかとても切実な問題にばかり目が向いてしまっていて、ものすごく視野が狭いように感じてしまうのですが、みなさんはどう思われるでしょうか? 一見すると哲学的にも思えてしまうような疑問に対して、進化の観点から生物学的にアプローチしていくということは、私にとっては、学問の世界の多様さを示すものであり、イギリスの科学や学問の幅広さとともに、その奥深さを体験させていただけたのではないかと思います。必ずしも、目先の利益につながらないのかもしれませんが、このような様々な学問分野、アプローチの仕方、考え方の多様性が、イギリスの科学の伝統を築いてきたのだろうと思いました。まだまだ、海外から学ばなければならないことはたくさんあるなあと思い知らされたエジンバラでの武者修行でした。
研究者の生き方とは?
筑波大学大学院に在学中も、とても忙しかったというつもりでいましたが、しかし、エジンバラでの研究生活は、さらに忙しかったと思います。筑波大学時代は、やっぱり、何だかんだといっても学生であり、勉強さえできればいいんだ、勉強さえしていればいいんだ、といった甘えが、恐らく心のどこかにはあったのではないかと思います。しかし、エジンバラでは、一切過ちをすることができないという緊張感の中で生活していたと思います。エジンバラでお世話になっていた先生も、一切の妥協を許してくれなかったと思います。もちろん、研究している時や学校にいるときもそうですが、研究者として、通学のためにエジンバラの街を歩いている時も、食料を買いに店に入っている時も、アパートで過ごしている時も、常に過ちを犯すことなく完ぺきであることが求められているような気がして、絶えず緊張しながら生活していました。
一度、学校の食堂で、周りからちょっと変わっているといわれていた学生にからまれたことがあります。私としては面識もなく、話などしたこともなかったのですが、向こうの方から、明らかに意図的に体当たりされたのでした。ほっとけばよかったのかもしれないのですが、向こうの人たちに、日本人はやわな奴ばかりだと思わせたくもなかったので、“What’s the matter with you! (なんか文句あんのかよ!)”とやり返したところ、殴りかかってこられたことがありました。こんな中でも、こちらからは絶対に先に手は出すまいと心に誓いながら、胸を突き出すようにして相手を威嚇しつつも、手はしっかりと後ろに回していました。アニメの『巨人の星』で、乱闘になったときに、長嶋茂雄選手が乱闘に加わりながらも、手は後ろに回していたというエピソードを、乱闘時の教訓として記憶していたためでもあります。しかし相手に殴りかかられたときの勢いで、まわりで食事していた他の人たちのテーブルになだれ込んでしまったりして、結構大ごとになってしまったことがありました。こんなことがあり、心ならずもエジンバラ大学のコミュニティーを騒がせてしまったので、先生のところに行って事情を説明し、お詫びをしましたが、このようなアクシデントのなかでも、社会人としてどのように振る舞うのかを試されていたのかもしれません。私が中学生か高校生だったときに、「学生は試されるのは試験のときだけだけれども、社会人になったら、毎日が試験だよ」という話を、祖父から教えられたこととして父親から話してもらったことがあります。日本から遠く離れ、しかも文化や社会的な状況も日本とは異なるスコットランドの地で、自分の身を守れるのは自分一人しかいません。そんな状況の中で、なおさら先生も、日常生活の中での妥協を許してくれなかったのだろうと思います。そしてそれはまた、研究者として生きていくことの厳しさでもあったのだろうと思います。
このように、研究のことだけではなく、本当に多くのことを学ばせていただいた3年半でした。私自身の人生の中で一番輝いていた時だったのではないかと思います。しかし、いつも実験室で顕微鏡をのぞきながら仕事をされていた先生でしたので、先生を見習って、あくなき探求心をこれからも忘れることなく、体と脳が続く限り勉強し、研究していかなければならないと思っています。
エジンバラでの研究生活は、私にとって青春時代だったのだと思います。エジンバラでは実に多くのことを学ばせていただきました。エジンバラでの数年間の経験がなければ、今の自分は存在していないと思っています。
研究のことだけでなく、生きていく上で多くのことを学ばせていただきました。世界的な権威となられても、顕微鏡に向ってショウジョウバエのカウントをされていた教授を見習って、体力と脳力の続く限り勉強し、研究を続けていこうと思っています。
教授をはじめ、エジンバラ滞在中にお世話になった多くの方々に感謝しています。どうもありがとうございました。 三代