次の進路をどうするか?
前にも簡単に触れましたが、エジンバラでの滞在が3年を終わったときに、エジンバラ大学でお世話になっていた先生から、あと半年のうちに行く先を決めなさいと言われて、半年間だけ滞在を延長させてくださっていましたが、正直なところ、次の行く先については、まったくめどが立っていませんでした。老化の進化の研究プロジェクトで、毎日のようにショウジョウバエの死体を拾い集めるとともに、殺虫剤抵抗性の集団モデルについてのプロジェクトを個人的に進めてもいたので、毎日とても忙しかったと思いますが、そうかといって、次に進むべきあてもなく、正直どうしようかと思っていたのでした。もう年齢的には若くもありませんでしたが、博士号を取りたての、一応若手の研究者でしたので、まともに相手にしてくれる研究機関もなかなかありませんでした。若手の研究者というのは、たびたび所属する研究機関を探さなければならないものなのでしょうが、次の進路を何度も決定していかなければならないということは、そのたびに自分の未来に対する可能性や選択肢が減っていくことにもなりますので、将来に対する不安があおられ、とてもストレスのかかるものです。なので、なんどやっても、進路を決定するということは、研究者にとって、頭の痛くなるような問題なのだろうと思います。
私がエジンバラでハエの死体を拾い集めていた頃、筑波大学では、私が卒業した後に新たに入学してきた大学院生たちが、私が在学中に位置決定していた抵抗性遺伝子について、分子遺伝学的に解析を続けており、ときどき、筑波でお世話になっていた指導教官から、分析の結果について、いろいろと情報を提供してくださっていました。とても優秀な院生だったようで、学部時代に遺伝子の操作をすでに学んできており、自分で積極的に遺伝子の解析をどんどんと進めていたようでした。私が在学中に行った染色体分析の結果から、私自身としては、第3染色体上の抵抗性遺伝子により大きな興味があり、その抵抗性遺伝子の本体はなんであるのかについて、正直なところ、早く知りたかったのですが、その院生たちは、どうも第2染色体上の抵抗性遺伝子により興味があったようです。それでも、あと半年だけといわれて、次の進路を探している中、第3染色体上の抵抗性遺伝子の分析結果についても、指導教官のほうから教えていただくとともに、その大学院生からも、彼女自身のセミナーの概要を伝えるメールをもらったりして、私が卒業した後の抵抗性研究の進捗状況を教えてもらうことになりました。
もう何か月もエジンバラにいられないにもかかわらず、それでもまだ進路がきまっていないというときに、筑波でお世話になっていた指導教官から、ある研究所での研究員のポジションの募集が出ているので、それに応募してみたらどうかと教えてくださったので、それに応募してみようということになりました。筑波大学で行っていた殺虫剤抵抗性の研究について、私が卒業した後に、上述の大学院生が明らかにしたことを踏まえたうえで、さらにその研究を発展させたいと思い、それについての研究計画をたて、応募してみたのですが、残念ながら不採用になってしまいました。どこにも行く当てがなくなってしまったのですが、筑波大学でお世話になっていた指導教官の研究室で、非常勤の研究員として拾っていただけることになり、とりあえずは路頭に迷うということは回避できることになりました。ただ、指導教官はあと1年で定年となり、退官されるということだったので、その1年間のうちに、自分が進化遺伝学研究室で行ってきた殺虫剤抵抗性の研究について、ある程度の見通しをつけなければならないということになりました。具体的には、上述した、ある研究所に応募した際に不採用となってしまった研究プロジェクトを、1年間のうちにできるだけ推し進めることを目標として、研究を進めさせていただくということになりました。