第3染色体上の抵抗性遺伝子:抵抗性型アセチルコリンエステラーゼ(3)アセチルコリンエステラーゼの阻害実験

アセチルコリンエステラーゼの阻害実験

 私がエジンバラに滞在していた間に大学院生が行っていた分析から、第3染色体上の抵抗性遺伝子はアセチルコリンエステラーゼであることが示唆されていたので、筑波に戻ってまず真っ先に行ったことは、院生が行った実験の結果を確認することでした。すなわち、アセチルコリンエステラーゼが有機リン剤抵抗性に寄与していることの確認です。これまでに得られている結果において、第3染色体上の抵抗性因子がアセチルコリンエステラーゼであることを支持する結果は、1つは、遺伝学的なマッピングによって決定された有機リン剤抵抗性因子の染色体上の位置が、アセチルコリンエステラーゼ遺伝子の位置と非常に近接していること、さらに2つめとして、大学院生の分析から、有機リン剤抵抗性に寄与しているとフランス人研究者らが報告していたようなアミノ酸置換をひきおこす点突然変異が、私たちが実験に用いていた抵抗性系統の遺伝子においても確認されたこと、です。

 

 先ほども述べましたが、感受性の個体では、有機リン剤がほぼ不可逆的にアセチルコリンエステラーゼに結合することによって神経伝達が阻害されてしまうため、死に至ってしまいます。しかし、抵抗性型のアミノ酸置換突然変異がアセチルコリンエステラーゼにおこっているならば、感受性の個体が死亡してしまうような殺虫剤濃度のもとでも、アセチルコリンエステラーゼは有機リン剤に対して、より結合しにくいように変異してしまっているため、酵素活性が阻害されることなく、結果として、死亡せずに抵抗性となっているのでした。なので、これまで実験で用いてきた有機リン剤に対する抵抗性のキイロショウジョウバエ系統において、より直接的にアセチルコリンエステラーゼが有機リン剤抵抗性に関与していることを確認するためには、アセチルコリンエステラーゼの殺虫剤に対するくっつきやすさを、抵抗性系統と感受性系統との間で比較してみればよいことになります。つまり、大学院生が遺伝子レベルにおいてアミノ酸を置換するような変異を検出しましたが、抵抗性系統と感受性系統との間で、殺虫剤によるアセチルコリンエステラーゼの阻害のされやすさというタンパク質としての性質を比較することによって、検出された遺伝子レベルでの変異が抵抗性に実際に寄与しているかどうかを確認できることになります。

 

 アセチルコリンエステラーゼの有機リン剤に対するくっつきやすさは、ショウジョウバエの個体をすりつぶしたものを酵素液として、それに殺虫剤を加えたうえで、さらに基質を加えたときの、アセチルコリンエステラーゼの基質分解活性の程度として評価されることになります。抵抗性型のアセチルコリンエステラーゼの方が感受性のものよりも有機リン剤に対して、より阻害されにくいのであれば、感受性系統から調整した酵素液よりも、抵抗性系統から調整した酵素液のほうが、より高い殺虫剤濃度の下でも基質分解活性が残っていると期待されます。それは、酵素活性の50%を阻害する殺虫剤濃度(I50値)を比較することによって確認することができます。

 

 筑波大学には、私がこれまで渡り歩いてきたような、伝統的な農学系の昆虫学の研究室があって、そこでも殺虫剤抵抗性の研究が行われていました。殺虫剤の分析機器は、やはりあちらの研究室ではとても充実していたので、アセチルコリンエステラーゼの活性の分析では、実験室や活性を測定するための機器などを貸していただけるように、指導教官を通してあちらの先生にお願いしてもらいました。エジンバラから帰国して以降、筑波で私が実際にアセチルコリンエステラーゼの実験を行っていた当時、何の昆虫を使っていたかは忘れてしまいましたが、アセチルコリンエステラーゼの研究で学位を取っていた韓国からの留学生がいて、その方からいろいろと教えてもらいながら実験を行っていました。彼は、アセチルコリンエステラーゼの分析で学位を取っていただけに、アセチルコリンエステラーゼの阻害実験についても細かいところまでよく教えてくださり、とても標準的な分析のプロトコールをご教示していただくことができました。

 

 このようなアセチルコリンエステラーゼの阻害実験から、これまで実験で用いてきた、勝沼から単離したキイロショウジョウバエの抵抗性系統のアセチルコリンエステラーゼは、感受性系統のものと比較して、有機リン系のフェニトロオクソンという殺虫剤に対してはおよそ15倍、カーバメイト剤といわれる殺虫剤のクラスの、カーバリルという殺虫剤に対してはおよそ2倍、実際にI50値が高いことが示されました。よって、大学院生によって遺伝子レベルで変異があることが示されたアセチルコリンエステラーゼは、実際に、酵素活性のレベルにおいても異なっており、タンパク質としての性質においても異なっていることが確認されました。抵抗性系統の個体は感受性系統の個体よりも、有機リン剤やカーバメイト剤に対してよりくっつきにくく、それゆえ、より阻害されにくいアセチルコリンエステラーゼを保有していることが、実際に示されたことになります。