点突然変異の有機リン剤抵抗性への寄与
もちろん、アセチルコリンエステラーゼ以外の抵抗性遺伝子が集団中に存在している場合も考慮しなければならないでしょうし(実際、勝沼集団には第2染色体上にも抵抗性因子が存在しています)、また、アセチルコリンエステラーゼにおける、まだ分析していないアミノ酸サイトにおける変異も、恐らく見過ごすことはできない可能性があるので、勝沼集団というキイロショウジョウバエのたった1つの集団における有機リン剤抵抗性の遺伝的変異だけとはいえども、まだまだ検討しなければならないことはいくらでもありますが、少なくともこれら3つのアミノ酸サイトから産み出される遺伝的変異については、勝沼の自然集団において形成される有機リン剤抵抗性のミニマムな変異として、とりあえず検討を行い、例えば、研究費を自由にできるようになった後で、他のサイトや他の遺伝子座位における変異を探っていこうというつもりで研究を進めていくことにしました。といいますのは、大学院時代に指導教官としてお世話になっていた教授が、定年まであと1年というところで非常勤の博士研究員として私のことを拾ってくださったのですが、私自身ここまでの実験ですでに数か月を費やしてしまっていたので、これからそれほど大掛かりな実験をすることができないと判断し、あと数か月の間でできることを行おうと考えたためです。シークエンシングのようなお金のかかる大掛かりなことは、自分で研究費を取った後に取っておくことにして、より大掛かりな実験のための基礎的なデータを集めておこうという戦略を取ることにしたのでした。その一環として、これまで行ってきたPCR分析の結果を確認するために、同じサンプルを用いて、同じアッセイをもう一度繰り返すことによって、自分がタイプ分けにおいて食い違ってしまうような判断をしてしまった率(エラー率)を求め、自分が行ったPCR分析の結果をデータとしてより確かなものにすることなどに残りの時間を使うことにしました。
さらに、フランスの研究者たちが有機リン剤抵抗性に寄与する重要なサイトであると報告していた3つのアミノ酸サイトにおいて、大学院生や私がこれまでに検出してきた点突然変異が、実際に有機リン剤抵抗性に寄与しているのかどうかについて、検討を加えることにしました。このときに行った実験の概略は以下の通りです。すなわち、2006年に新たに採集してきた個体からマス集団を作製し、検出された複数の対立遺伝子の組合せによって様々な遺伝子型が作り出されるようにしました。このような集団の中で産み出された個体について、ある有機リン剤(マラチオン)の1濃度のもとで生存するか否かを調べるとともに、生存した個体だけでなく死亡した個体からもDNAを抽出し、それぞれの個体の遺伝子型を、対立遺伝子特異的PCRによって判別していきました。生存した個体だけでなく、死亡した個体の遺伝子型を調べることによって、生存あるいは死亡に、アセチルコリンエステラーゼで検出された点突然変異が実際に寄与しているかどうかを直接的に判別することができると期待したためです。
先ほども軽く触れましたが、2006年に新たに採集された勝沼の集団には、アセチルコリンエステラーゼの3つのアミノ酸サイトにおいて、抵抗性型の点突然変異が少なからず存在していました。実際、採集したのが真夏の暑い盛りだったこともあり、ブドウの栽培過程で散布された殺虫剤による選択圧がかかっていたようで、この集団の個体は検定に用いた殺虫剤濃度のもとでは、実質的にほとんど死亡することはありませんでした。ここでの分析では、点突然変異の生存あるいは死亡への寄与を調べようとしていたわけですから、死亡する個体がいてくれなければ、生存あるいは死亡に点突然変異が実際に寄与しているかどうかを判別することはできません。つまり、生存している個体しかいない状況で変異を調べても、その変異が実際に生死に関与していると判断することはできないでしょうし、何らかの結果が得られたとしても、かなりバイアスがかかった結果であるため、注意が必要になるのだろうと思います。実際、勝沼には、アセチルコリンエステラーゼの他に、少なくとも第2染色体上の抵抗性遺伝子も存在していますから、アセチルコリンエステラーゼの3つのアミノ酸サイトにおいて検出されたそれぞれの抵抗性型の点突然変異の有無が、実際に有機リン剤の1濃度のもとでの生死に関わっているのかを調べるには、死亡個体の遺伝子型の情報も必要になってくるのだろうと思います。というわけで、私が大学院生のときに勝沼で採集し、有機リン剤に対する感受性の系統として確立された1雌由来系統の個体を用いて殺虫試験を行い、死亡個体からもDNAを抽出して、その遺伝子型を対立遺伝子特異的PCRによってテストしてみました。これらの、個体レベルでの生死の結果と、3つのアミノ酸サイトにおける抵抗性型の点突然変異の有無に関する対立遺伝子特異的PCRの結果について回帰分析をおこない、アセチルコリンエステラーゼにおいて特に重要とされた3つのアミノ酸サイトにおける抵抗性型の点突然変異の、有機リン剤抵抗性への寄与に関する洞察を得ました。