新たなポジションを求めて
筑波大学で博士号を取得したのちに、エジンバラ大学で数年間研究者としての修業を積んできましたが、その次の進路として、結局どこにも行くところがなく、最終的に、大学院のときにお世話になっていた指導教官に非常勤の研究員として拾っていただいたわけです。しかし、指導教官ご自身も定年のため退官されるということで、筑波に滞在できるのは1年間だけでした。なので、また次の進路を考えながら実験を行わなければなりませんでした。以前も申し上げたことがありますが、時間が経つにつれて、当然のことながら、私自身も歳をとっていきます。このとき私は、37~38歳ぐらいでしたが、どこかの大学にしても、研究所にしても、同じくらいの能力があるとすれば、当然長く勤められる若い人の方が有利なのでしょうから、私のように何度も何度も進路を捜し歩いていくと、それにつれて、私のことを受け入れてくれるところも、だんだんと少なくなっていってしまうのはやむを得ないことなのだろうと思います。でもまあ、一応、勝沼のキイロショウジョウバエ自然集団の殺虫剤抵抗性の遺伝的変異の変動について、エジンバラで理論的なアプローチを学んできましたし、筑波で分子遺伝学的なアプローチを使って、それなりに面白そうな研究の展望が見えていたので、これまで行ってきた研究をこのまま続けていくために、日本に限らず、どこかの国でフェローシップを取れるのではないかと、甘い期待をこのときには抱いていました。
筑波での1年間の研究から、アセチルコリンエステラーゼの遺伝子には、複数のアミノ酸サイトにおいて、アミノ酸置換をおこす点突然変異が存在することがわかったわけですが、このような知見をさらに積み重ねていけば、例えば、アセチルコリンエステラーゼにみられた点突然変異に対する野外で散布された殺虫剤による選択圧や、集団の増加過程をはじめとする様々な生態学的な環境条件の下で働いていると考えられる自然選択の作用について、分子進化学的に解析することも可能なのではないかと考えました。そこで、どういういきさつで知遇を得るようになったのかはちょっと記憶になくなってしまったのですが、あるドイツの研究者に接触してみたところ、ドイツのある財団が提供していたフェローシップの存在を教えてくださったのでした。そのドイツの教授のもとで、特にアセチルコリンエステラーゼの分子進化学的な解析を行うというプロポーザルを作成し、そのドイツの研究財団が提供していたフェローシップに応募してみることにしました。私自身、自分が計画した研究にとても興味があったので、落とされてフェローシップを取れない可能性については全く頭にありませんでした。