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筑波から実家へ(1)

筑波から実家へ

 

 エジンバラから帰国し、再び筑波大学に通い始めたのは2006年の3月からでした。年度のはじまりは、通常であれば4月からだと思いますが、3月から通い始めてしまったために、アパートの賃貸も3月からの1年間での契約だったと思います。研究員としての契約は、一応3月いっぱいまでだったと記憶していますので、研究員としての契約の終了までにはまだ1カ月あったはずなのですが、アパートの賃貸契約を中途半端に延長したくもなかったので、そのままアパートの契約を終了し、東京の実家に戻ることにしました。3月からの1カ月の間は、毎日通うのではなく、餌づくりや瓶洗い、系統維持のための餌替えなどで、週のうちの何日間かだけ研究室に顔を出すことにさせていただき、その日に合わせて、東京から電車や高速バスで通わせていただくことになりました。

 

 この時点では、まだドイツでのフェローシップに応募するための研究計画はできておらず、論文等を読みながら勉強しつつ、ドイツの先生とコンタクトを取りながら、計画をたてていたのではなかったかと思います。ドイツのミュンヘンで研究したいと本気で思っていたので、語学が苦手な私でしたが、大学時代も第二外国語はロシア語だったので、これまでまったく触れたこともないドイツ語の勉強を、実家での独学ではありましたが、結構本気で取り組んでいました。