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筑波から実家へ(3)叶わなかったドイツでの研究

叶わなかったドイツでの研究

 研究所に備えられているような空調設備も照明設備もない自宅で、ショウジョウバエを飼育するというかなり困難なことに取り組みつつも、ドイツでの研究がとても楽しみだったので、一生懸命にドイツ語に取り組みながら、応募していたフェローシップの可否の結果を待っていました。どういうわけか、なかなか結果がわからないまま、しばらく過ごしていました。はっきりとしたことはもう覚えていないのですが、電子メールに残されている記録を眺めてみる限り、20077月の半ばには不採用という結果が届いていたようです。といいますのは、この7月半ばを過ぎたころから、またポジション探しのための問い合わせのメールが、さまざまな研究室あてに出されていたためです。こんなことならもっと早く教えてくれてもいいのではないかと内心思っていたと思いますが、まあ、世の中というものはそういうものなのだろうと思います。一生懸命にドイツ語の勉強をしていましたが、不採用であることを知ったその時から、二度とドイツ語のテキストを開くことができなくなりました。ドイツで研究することをとても楽しみにしていましたし、採用されることを信じて疑っていなかったので(だからこそドイツ語の準備をしていたのです!)、不採用という結果が、あまりにもショックだったためです。

 

 簡単にではありますが、ドイツでどのような研究をする計画をたてていたのかを、簡単に説明したいと思います。筑波大学大学院での研究において、私は、勝沼のキイロショウジョウバエ自然集団における有機リン剤という殺虫剤に対する抵抗性の遺伝的変異のダイナミクスを調べようとしてきました。自然集団における抵抗性の遺伝的変異に対して、私は大学院時代に、言ってみれば、正攻法で取り組んできたと思っています。つまり、実際に自然集団を採集し、そこから抵抗性系統と感受性系統を選抜して系統として確立し、染色体置換系統を作製して染色体分析を行うとともに、抵抗性遺伝子のマッピングをするといったことを、手間と時間を費やして、一つ一つ積み上げてきたのだろうと思います。もちろんこれらのプロセスは、自然集団の遺伝的変異について何の情報もない段階では、当然通過してこなければならないプロセスだったわけですが、これからは、これまでの知見に基づいて、さらにさまざまな仮説が立てられ、それを実験的に検証することができるような段階になるのだろうと思います。例えば、筑波大学での大学院生および研究員としての6年間の研究により、勝沼のキイロショウジョウバエ集団の、第3染色体上に存在するアセチルコリンエステラーゼには、抵抗性に寄与することが報告されているいくつかのアミノ酸サイトにおいて、抵抗性型の点突然変異が存在することが明らかになりました。さらに、これらのDNA上に存在しているアミノ酸を置換するような点突然変異や、アミノ酸を置換しないような点突然変異などを、染色体にわたって広く分析していくことによって、勝沼の自然集団において、これらの突然変異に殺虫剤による選択圧が実際にかかってきたのかどうかについて解析することができるようになると考えました。同様に、大学院時代の正攻法でのアプローチによる研究から、ワインの製造過程で秋に大量に廃棄されるブドウの搾りかすの上で集団が増加する過程で、第3染色体上の抵抗性遺伝子には、密度非依存的な自然選択のネガティブな作用が作用するのではないかと考えてきました。このように、第3染色体上の抵抗性遺伝子には、殺虫剤によるポジティブな選択圧と、集団の増加過程において作用するネガティブな自然選択の作用を複合的に受けていると私は考えていたので、その場合、染色体上の変異を広く解析していったときに、どのようなパターンが表れるのか、とても興味深かったと思うのですが、ドイツでの研究を実現することができず、とても残念です。もちろん、2つの逆方向に作用する選択の相対的な強さに依存することになるのだろうと思いますが、作用の効果が相対的に同じくらいなので、まったく相殺されてしまうくらいなのか、あるいは、いずれかの選択の作用の方が強調される結果となっていたのか、今となっては何とも言えませんが、実際に解析していたら、とても興味深い結果が得られていたのではないかと思います。

 

 ドイツの先生は、このようなゲノム解析で著名な先生だったので、学ぶことも多かったと思うのですが、実現させることができず、とても残念に思っています。研究というものは、人間がやるものですので、やはり私に至らないところがあったのだろうと思います。まあ残念ではありましたが、これも運命であり、是非もないことなのだろうと思います。