次のポジションを求めて:台湾へ
結局、期待していたドイツでのフェローシップを取ることができずに、また一から職探しをしなければならなくなりました。結果を待っていた間にドイツ語の勉強をしていたぐらいですから、フェローシップを取れると信じて疑っていませんでした。なので、あわてて進化学関係のポスドクの求人を公開しているインターネットのサイトで、興味を持てそうな研究プロジェクトでポスドクを募集していた研究者を調べ、そのなかで、これはと思えるような何人かの研究者に問い合わせのメールを送りました。このときは、急遽探すことになったので、あわてていたこともあっただろうと思いますが、とにかく、自宅でショウジョウバエを飼育しなければならないという状況から早く脱して、無職の状況を回避したかったこともあり、祈るような気持ちで、何人かの研究者に問い合わせのメールを送ったと思います。でも、なかなか思うような返事をもらうことができませんでした。これまで何度も職探しをしてきましたが、希望をもって問い合わせのメールを送っている分、やっぱり凹んでしまいましたが、でもそれが普通なのだろうと思います。ダメでもともとというつもりで数多く問い合わせのメールを出すことが、私のような修行者には必要なことだったのだろうと思います。
そんな、凹みそうになるような状況の中で、それでも多少私のことを採用してくれるのではないかという希望を抱かせてくれるような返事をくれた研究者が2人いました。一人は、アメリカの殺虫剤抵抗性の研究者で、殺虫剤抵抗性を量的遺伝学的に研究したパイオニアでもあり、私もこれまでなんどか門をたたきたいと思ってきた研究者でした。もう一人は、ショウジョウバエの種分化などについて研究されてきた台湾の研究者でした。筑波でお世話になっていた指導教官もご存知の先生でしたし、エジンバラの先生もご存じの先生でした。なので、私のことについて、良いところも悪いところも、先生方の間で気安くいろいろと情報を流してくださるだろうと思いましたし、まあ、それがいい方に出るか、悪い方に出るか、ちょっと怖くはあったのですが、推薦状などを送っていただくようにお願いして、結果を待っていました。
とにかく、暑さの厳しい真夏に、冷房をフルに働かせながら、自宅でショウジョウバエの系統を維持するという、多少無茶なことをやっていたので、このまま系統を維持するために、どこかの研究室に一刻も早く所属したいと思っていました。系統を維持するために、昆虫飼育室や恒温器を使わせてもらいたかったためです。そんななかで、1カ月くらいたって、台湾の先生から、受け入れてもらえるとの返事をいただくことができました。台湾への渡航ということで、多少は事務手続きが煩雑だったような気がしましたが、とにかく、自宅で維持していたショウジョウバエの系統を持ち込むことを許可してくれたこともあり、その他の研究プロジェクトでの採用の可否の結果を待つことなく、台湾での研究に関わらせてもらうことになりました。