· 

台湾での生活(1)台湾の住宅事情

台湾での生活

 

台湾の住宅事情

 結局、台湾には10カ月ほどしか滞在できませんでしたが、私にとってはとても心に残る滞在となりました。確かに、研究のほうでは、早いうちから雇用主の先生から戦力外通告を受けてしまっていましたが、その分、せっかく台湾に来ているのだからと、台湾での生活を楽しもうという気になることができたためです。それまでは研究のことばかりで、例えばイギリスに滞在した時も、もっとイギリスのいろいろな文化を体験しておけばよかったと思えるようなことがいくらでもありましたが、台湾では、今までできなかったような、例えば、台北市内巡りですとか、台南への週末旅行、温泉一泊旅行など、言葉が通じないにもかかわらず、いろいろと楽しむことができたと思います。

 

 台湾についてから、23日は、研究所の敷地内にある宿泊施設に泊まらせてもらいました。それから、研究所から歩いて5分くらいのところに、アパートを借りることになりました。台湾の街並みを眺めたときに、とても特徴的だなあと私が感じる景色は、道路に面しているアパートやビルの窓が、鉄格子のようにがっしりとした柵でガードされていることで、防犯上の対策としてなのだろうと思うのですが、たとえそうであったとしても、初めてそれを眺めたときには、やっぱり圧倒されるような、圧迫されるような感覚を受けました。私が住むことになったアパートも、通りから眺めると、この台湾のアパートによく見られるような格子で覆われていたので、台湾のアパートに住んでいるということを実感させられました。

 

 アパートは3LDKくらいの大きさだったと思います。そのうちの一部屋を借りることになりました。部屋にトイレとシャワー・ルームがあり、机とテレビ、ベッド、そして冷蔵庫が備え付けられていました。他の部屋にも住人がいたと思いますが、ほとんど顔をあわせることもなく、どんな人が住んでいたのかはわかりませんでした。ダイニング・キッチンのスペースがありましたが、洗濯機が置いてあり、これは共同で使わせてもらっていました。しかし料理を作ったりできるような、ガスコンロや電磁調理器具のようなものはなかったので、自炊するという雰囲気ではありませんでした。多分、ガスも通っていなかったと思います。なので、食事はずっと外食せざるを得ませんでした。近くのスーパーで買い物をした時に品物をみてみても、キャベツなどの生鮮野菜はとても高く感じましたし、近所の食堂で食事をした方がずっと安上がりだったと思います。恐らく台湾の人たちも、食事は外で食べるという文化があるのだろうと思います。それぐらい、至る所に安食堂や屋台がありました。しかしながら、大学生になって親元を離れて以来、大学院時代も、エジンバラに滞在していた時にも、私は一応自炊をしてきたので、自分で食事の管理ができなかったことは、自分の健康にとって大いにマイナスだったと思います。台湾に渡ってから、体重が一気に増えてしまうことになりました。


 

 

 

 

 

 

台湾滞在中に住んでいたアパートの契約書。もちろん中身は、すべて漢字で書かれています。

 

台湾に渡ったばかりの頃は、道の両側から覆いかぶさってくるかのような、通りに面した窓ガラスに備え付けられた、ガッシリとした鉄格子のような柵の、なんとも言えない圧力を感じていました。多分、防犯か、落下防止のためなのだろうと思いますが、あの雰囲気には圧倒されていました。  三代