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台湾での思い出(1)台南旅行

台湾での思い出

 

台南旅行

 これまで、さまざまな国々の大学や研究室で勉強し研究してきましたが、その国の文化や社会を、あまり経験することができず、せっかくの機会をあまり活かすことができませんでした。満足な収入が得られず、海外にも好きな時に好きなだけ出掛けたりなどできなくなってしまった現在から顧みてみますと、なんとももったいないことをしてきたなあと思います。例えば、イギリスに滞在していたときには、日本に帰国する直前に、とても貴重な経験をさせていただきましたが、それでも、日常生活の中でさえ、さまざまな文化を体験する機会はいくらでもあったと思います。そういった意味で、台湾にいたときには、10カ月という短期間だったにもかかわらず、私にしては、台湾のいろいろなところに出掛けて、さまざまな経験をさせていただくことができたと思います。

 

 台湾に滞在していたときの一番の思い出は、20083月初旬の週末に、台湾南部の台南に旅行した時のことです。金曜日の夕方に、研究所での作業を終えてから台北まで出て、台湾新幹線に乗って台南まで行きました。台南に到着したのは、夜の9時を過ぎていたようです(新幹線の切符がまだ残っていました)。新幹線の駅は、台南中心部からは離れていたようで、新幹線の駅からはシャトルバスで中心部まで行かなければならなかったと思います(現在はどうなっているのかわかりません)。台南で泊まったホテルはものすごくゴージャスだったので、そのホテルの豪華さの印象がとても残っているのですが(値段は、びっくりするほど高額ではなかったと記憶しています)、ホテルにたどり着いたのは、かなり遅い時間だったと思います。まったく見ず知らずの土地で、夜遅くなってしまったので、少し不安になって、多少早歩きでホテルに向かったと思います。

 

 台南では2泊しました。次の日に、台南の著名な観光スポットは一通り巡ったと思います。赤楼(Chikan Tower)、安平古堡(An-Ping Fort)、孔子廟、など、ガイドブックに載っているようなところは一通り見てきました。そして、台南にある有名な大学には、日本統治時代の建造物が残っていて、現在ではそのまま校舎になっているとのことだったので、その建物を見に、大学まで行ったりもしました。

 

 安平古堡には、中世の城郭と堡塁の遺構が残されているのですが、その一角には展望台があったので、私も上ってみました。塔の展望台から眺められた景色は、春めいた陽気の中で霞んでいたのですが、あたり一面に広がっていた平野でした。緑色の印象がとても強く残っているので、多分水田か何かだったのではないかと思うのですが、眺めていて、なんだかとても懐かしさを感じたように記憶しています。私は、生まれも育ちも東京でしたので、あたり一面に水田が広がっているような景色を眺めた記憶はないに等しいはずなのですが、安平古堡の展望台から眺めた景色を見て、真っ先に懐かしさを覚えました。多分、日本人にとって、田んぼが一面に広がっている景色というのは、何かを感じさせる景色なのではないかと思いました。

 

 次の日に台北に戻るときに、台湾新幹線の車窓から眺めた景色も、なんだか、とても懐かしい気分にさせてくれました。台南に向かうときには、もう夜遅くなってしまっていたので、外の景色はまったく見えなかったのですが、台北に戻るときはお昼過ぎの頃だったので、外の景色を眺めることができました。確かに、台湾にいたときには、異国情緒を感じることも大いにあったと思いますが(例えば、大学の構内には、椰子の木のような南国風の樹木の並木があり、南国に来ていることを実感したことがあります)、それと同じくらいに、懐かしさを感じることもよくありました。その懐かしさが何に由来していたのかは、当時はあまり深く考えもしなかったのですが、それでも今から思い返してみると、もう日本では感じられないような物事が、まだ台湾にはいろいろなところで大切に残されていたのではないかと思います。それは、台湾で眺めた風景だったのかもしれませんし、通りに椅子を出してお茶を飲んでいた、ランニングのシャツを着たおじいさんの姿だったのかもしれません。


 

 

 

 

 

 

 

2008年(中華民国97年)3月に台南旅行をしたときの新幹線の切符など。

 

 

 

 

安平古堡の展望台から望んだ風景。春めいた陽気の中に霞んで見えた風景が、とても懐かしさを感じさせてくれました。この懐かしさは、一体何に由来していたのか、当時はあまり深く考えませんでした。

 

 

 

 

台南の孔子廟。日本で生まれ育った私にとって、台湾の文化は、信仰ととても深く結びついているように思いました。街を歩いていても、どこからともなく線香や、お香のような、独特な香りが漂ってくることがあり、人々の間に、信仰が深く根付いていることを感じました。  三代