これまで維持してきたハエを処分
台湾から2008年7月の下旬に帰国してきました。台湾に渡る前に、実家でショウジョウバエを飼うことになってしまい、とても苦労してしまったことについては、台湾での研究のところで述べましたが、あくまでも研究のためにドイツに渡るまでの数週間だけの、ほんの一時的な処置というつもりでした。結局、フェローシップを取ることができなかったために、真夏の厳しい暑さの中で、冷房をガンガンにきかせながら飼うことになってしまい、とても苦労しましたし、気が休まることがなく、正直大変でした。なので、台湾から帰国して、また実家でショウジョウバエを飼うわけにもいかなかったので、次の年の4月までに何とか次の所属先をみつけるからという条件で、また筑波でしばらくショウジョウバエを飼わせてもらうことになりました。大学院のときの指導教官に動いてもらったのではなかったかと思いますが、非常勤の研究員としてお世話になっていた研究室で、インキュベーター(恒温器)を使わせていただき、餌などをわけていただくことになりました。
東京の実家から筑波まで、電車や高速バスを使って、週1で通っていました。今回も、ただで餌をわけていただくわけにもいかなかったので、そのお返しというわけでもないのですが、その分ビン洗いをするということで、餌をわけていただき、そして、恒温器を使わせていただいていました。ただ、これまでも何度も述べてきましたが、東京の実家から筑波まで、1回往復すると数千円かかってしまうので、無職の身には、やはり大きな出費になってしまいました。なので、次の進路が決まろうが決まるまいが、まあ、次の年の4月までがせいぜいのところだったと思います。
日本に帰国してから、いろいろと進路を探してはいたのですが、まあ、かなり絶望的な状況であることを感じました。1つは、私もこのときには40歳になるかどうかといったところでしたし、このぐらいの年齢であれば、もうすでに、大学で教授や助教授になっていてもおかしくはないでしょうし、私のように、40歳にもなってまだポスドクを探しているということは、あまりないことのようです。大学院のときの指導教官にも相談してみたのですが、筑波大学の進化遺伝学研究室の先輩で、東京にある大学で職に就いていた方がいたので、その方の研究室に研究生として所属し、ショウジョウバエを飼わせてもらったらどうかというお話を伺ったのですが、まあ、東京とは言っても、ほとんど横浜でしたし、研究生になるとは言っても無料でなれるわけもなく、年間何十万という金額を納入しなければならなかったので、実際の問題として、研究生になるという選択肢は考えられませんでした。そんなこんなで、一応約束していた4月が近づいてきてしまったので、私も腹をくくることにしました。大学の研究室のような、完全空調の設備があるわけでもなく、日長調節の設備があるわけでもない実家の一室で、ショウジョウバエを飼育し、しかもほとんど絶やすことなく半年近く維持してきた私としては、まあ、やれることはすべてやってきたという領域にまで到達することができたのではないかと思います。結局、次のポジションを見つけることができず、これまで行ってきた研究を再開できる目途が立たなかったので、4月までという約束をしていた期限を迎え、これまで維持するのに散々苦労してきたショウジョウバエを処分することに決心したのでした。