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介護をしながら、論文をまとめる

介護をしながら、論文をまとめる

 

 結局、次の職を見つけ出せないまま、こうして実家に戻ることになってしまいました。まったく次の研究を進める目途が立たず、どうしようかとウダウダとしている間に時間ばかりが経ってしまいました。このままボヤーっとしているわけにもいかなかったのですが、そうかといってどうしたらいいかもわからず、途方に暮れるばかりでした。

 

 これまで長々とお話ししてきましたように、私は大学に入学してから、台湾から帰国したこのときまで、20年以上にわたって、実家から離れて一人暮らしをしてきました。もちろん、台湾に渡る前に、数か月間実家に身を寄せたり、長期休暇の時には、ちょくちょく戻ってきたりしていましたが、基本的には、どっかでアパートを借りて一人暮らしをしてきました。20年近く実家を留守にしてきたわけですが、私が留守にしていた間に、私の家族にもいろいろな変化がありました。祖母が認知症になり、今まで両親と一緒に同居していた実家を離れて、介護付きの有料老人ホームに入所していたこともその一つです。私は、イギリスのエジンバラで、老化の進化について研究してきたことについては、これまでにお話ししてきましたが、実際に、実家の両親と一緒に暮らしてきた祖母が認知症になり、介護が必要だという状況を経験していくなかで、イギリスで勉強してきた老化の進化遺伝学という観点から、高齢者介護を考えてみると、いろいろな意味で意義があると感じました。ここら辺の経過については、すでに電子書籍として出版しておりますので(三代隆洋著、『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』 AmazonKindle版電子書籍として発売中)、ぜひご一読いただけるとありがたいのですが、とにかく、両親がこれまで行ってきた祖母の介護を私も微力ながら手伝いつつ、高齢者介護について進化遺伝学的な観点から考察するとともに、これまで行ってきた殺虫剤抵抗性の研究の中で、まだまとめていなかった結果を、論文としてまとめていこうということになりました。もちろん、どこかに所属しているわけではないので、無職には違いなく、当然収入もないわけですが、とりあえず1年間ぐらいは、これまでのわずかばかりの貯えで何とかしのげるのではないかという見通しがたてられたので、このまま実家で論文をまとめる作業に取り掛かることにしました。

 

 私がイギリスでお世話になった教授は、とても著名な先生であり、ご夫婦で世界でも有数のラボを運営されている方ですが、いろいろな意味でとても厳しかったと思います。そのいくつかについては、エジンバラで教えていただいたこととしてすでに述べているところではありますが、改めて述べますと、直接ああだこうだと注意を受けることは決してなかったのですが、研究や勉強のことだけでなく、一人の人間として、普段の生活においても、一切の妥協を許してくれなかったように思います。私のように、賛同者が必ずしもたくさんいるわけではない研究や学説を支持している研究者として、一切の隙を与えない生活をしなければならない厳しさをたたき込んでくれたと思います。私のように、まわりに仲間がいない、孤独な研究者はどのように生きていかなければならないのかを教えてくれたと思います。自分で自分を守るためには、完璧であることを求められるわけです。これまで実際に、完璧であることを実践できていたかは、正直なところ常に自分自身に問わなければならないところなのだろうと思いますが、それでも、完璧であろうと努力してきたつもりではあります。結局のところ、イギリスの先生が私に求めたことは、人前でのみ格好がいいだけの、うわべだけの博士ではなく、いつでもどこでもPhDの誇りを忘れるなということだったのではないかと思います。たとえ一人であっても、その誇りさえあれば、研究を続けられるのだということなのだろうと思います。そう考えると、研究者にとって場所は関係ないことになります。いつでもどこでもPhDの誇りを忘れなければ、実家の自分の部屋で行ったことであったとしても、それはれっきとした研究であり、何も恥ずかしいことではないと思うようになりました。もちろん、実家で行った研究であれば、大学かどこかの施設で行った研究以上に、ディフェンスには気を配る必要があるでしょうし、そういった意味でも、完璧であることを自分自身に求めなければならないのだろうと思います。なので、どこかの大学や研究所のような機関に所属してはおりませんでしたが、実家のような、研究とは無縁なところでも、ちゃんとした論文を書けるということを実証してやろうというつもりで、論文を書き始めたのでした。