殺虫剤抵抗性の集団モデル
遺伝子型の個体数と頻度を同時に考慮するということ
エジンバラで、殺虫剤抵抗性の集団モデルを考えていたことについては、以前にも述べた通りです(殺虫剤抵抗性の遺伝的変異のダイナミクス 遺伝的変異の集団モデル参照)。以前述べたように、私が考えていた集団モデルは、論文にして投稿したときに、審査員から却下され、結局、エジンバラでお世話になっていた先生が構築された集団モデルを用いて再分析したのでした。しかし私は、どうしてもエジンバラにいたときに考えていた集団モデルのことを無為にすることはできませんでした。やっぱり、ランダムに交配していると一般に仮定されている昆虫集団において、それぞれの遺伝子型が、あたかも単独で増殖していると仮定した集団モデルによって、集団の状態を非常にうまく記述することができる場合があるという知見は、私のような単純な頭の持ち主にとっては、とても貴重な知見であるとともに、とても有用な知見であると思ったためでもあります。つまり、集団内の個体の間でランダムに交配し、子孫の世代においていろいろな遺伝子型が分離してきながら、集団の個体数が増加していくという、一般の人ではとてもではないけれどもイメージすらできないような、あんなに複雑な生物学的現象を、こんなに簡単な集団モデルで記述することができる可能性があるということを、私は重視しました。欠点ももちろんあるとは思いますが、それ以上の利点があると考えたわけです。欠点にばかり目がいってしまうような人々にはわかってはもらえないかもしれませんが、まあ、利点を重視するのか、欠点を重視するのか、といったところで、評価は分かれてくるのだろうと思います。
そもそも、害虫の自然集団における殺虫剤抵抗性の問題を取り扱うことというのは、よくよく考えてもらえばわかってもらえると思いますが、とても複雑な問題だろうと思います。なぜならば、殺虫剤抵抗性の発達は、その性質上、集団内における抵抗性因子の相対頻度に関する側面だけではなく、その絶対数である昆虫密度に関する側面にも注目していかなければならないためです。すなわち、抵抗性因子が集団内に高頻度で存在しているとしても、もし個体数がわずかでしかないならば、抵抗性の問題は、実質的には問題とはならないかもしれません。ほんの少しの被害であるならば、農家の方々も別に気にも留めないでしょう。逆に、抵抗性因子の頻度がたとえ低いとしても、農業生産や人間の生命にダメージを引き起こしてしまうほど、十分に昆虫密度が高いならば、それは深刻な問題となるわけです。つまり、抵抗性因子の頻度が0.5であるとしても、抵抗性の発達を抑える、もしくは防止するという観点からみれば、集団の大きさが10の集団と10000(もしくはそれ以上)の集団との間では、頻度が0.5であることの意味は全く異なるかもしれないわけです(10匹しかいないのであれば、無視していてもいいのかもしれません)。なので、集団内の相対的な遺伝子頻度に注目する一般的な集団遺伝学のアプローチでは、集団の大きさが10なのか10000なのかという問題は、一般に無視せざるを得なくなってしまいます。逆に、集団の遺伝的組成が一様であると仮定する一般的な集団生態学的なアプローチでは、遺伝子頻度が0.5であるという側面には、一般にスポットを当てることはできなくなってしまいます。なので、集団遺伝学と集団生態学の両方の側面を1つの枠組みの中に統合した、害虫集団に関する上述の2つの側面を同時に考慮に入れた集団モデルを構築することは、とても有用であることはご理解いただけるだろうと思います。しかしながら、なんども言いますが、そうすることは、一般的な頭の持ち主にとっては、とてつもなく困難なことなわけで、できるだけ簡単な集団モデルを構築することは、それだけでも大きな利点であり、私にとっては正義であるわけです。