エジンバラで学んだローカル・スタビリティー分析
集団内の個体間においてランダムな交配が行われているにもかかわらず、それぞれの遺伝子型があたかもそれぞれ単独に増殖しているかのような振る舞いを示すということは、いったいぜんたいどういうことなのでしょうか? もし集団がランダムに交配しているならば、例えばAAという遺伝子型をもつ個体は、その頻度に依存してAAやAa、あるいはaaという遺伝子型をもつ個体と交配し、もしAaという遺伝子型の配偶者と交配したとするならば、AAとAaという遺伝子型をもつ子孫を分離比1:1で産み出すと期待されます。このような、ランダムな交配が行われている集団において、それぞれの遺伝子型があたかも単独で増殖するということはどういうことかというと、見かけ上、AAの遺伝子型の個体はAAと交配してAAの子孫を産み出し、Aaの遺伝子型をもつ個体は、Aaの遺伝子型をもつ配偶者と交配して、Aaの遺伝子型をもつ子孫を産み出し、そして、aaの遺伝子型をもつ個体は、aaの遺伝子型をもつ個体と交配して、aaの遺伝子型をもつ子孫を産み出すということです。特に、Aa遺伝子型はヘテロ接合体なので、Aa遺伝子型同士の組合せの場合には、通常であれば、Aaだけでなく、AAやaaも分離してくるはずですが、あくまでも見かけ上、これらのAa遺伝子型を仮想的にあたかもホモ接合体であるかのように取り扱うことができるということになります。つまり、それぞれの遺伝子型が単独で、あたかも無性的に増殖しているかのように振る舞っていると考えることができるということなのですが、このことについて、これから手短に説明していきたいと思います。
この問題を解くカギは、エジンバラに滞在していた時に、お世話になっていた教授から教えていただいたローカル・スタビリティー分析の考え方にありました。エジンバラ滞在中に、抵抗性と感受性の遺伝子型の間で内的自然増加率を比較した論文を書きましたが、そのときに、エジンバラでお世話になっていた先生からローカル・スタビリティー分析を教えていただいたことについては、すでに述べました。このローカル・スタビリティー分析とはどういう分析かというと、繰り返しになりますが、ある遺伝子がまれであるときに、他の遺伝子型で占有されている集団に、そのまれな遺伝子をもった遺伝子型が侵入することができるかどうかを問うことによって、その遺伝子が集団内で頻度を増加させ、拡散することができるかどうかを調べる手法です。つまり、まれな遺伝子型とメジャーな遺伝子型との間の適応度の相対的な優劣を評価する分析手法の一つでもあるといえるのではないかと思います。このような、まれな遺伝子を持つまれな遺伝子型が、大多数の個体が持っているもう一つの遺伝子型で占められている集団に侵入するときにどのようなことが起こるのかを考えてみたいと思います。(この分析は、エジンバラでお世話になっていた教授が、1980年代に発表した論文の中で使われていた分析であり、詳細については、拙著『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』において詳述しているので、ご参照いただければ幸いです。)
例えば、大多数の個体が感受性型の対立遺伝子をホモ接合で保有しているaaの遺伝子型からなる集団に、抵抗性をもたらすまれな突然変異遺伝子Aが生じたとします。このとき、対立遺伝子Aを保有する個体というのは、ほとんどがAaであると考えることができます。なぜならば、対立遺伝子Aはまれなので、それをホモの状態で2個保有している個体はごくわずかであって無視することができるためです。このようなAaの遺伝子型をもつ個体が交配をするときには、その配偶者はaaであると考えることができます。つまり、まれな対立遺伝子Aが、aaで占められている集団に生じた場合、そのまれな遺伝子Aを持つ遺伝子型はAaであり、その交配はAaとaaとの間の交配に注目すればよいことになり、その場合、Aaとaaの子孫が1:1の分離比で産み出されると期待されることになります。ここら辺のより詳細な計算については、拙著『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』、もしくは添付した図を参照していただきたいのですが、要するに、対立遺伝子がまれであるときに、Aaの遺伝子型の個体数は、見かけ上、繁殖可能なAa遺伝子型からの寄与によって決定され、ヘテロ接合体なのですが、あたかも純粋なホモ接合体であるかのように増加もしくは減少すると考えることができます。よって、私がエジンバラに滞在していたときから追求してきた、それぞれの遺伝子型が単独で増殖しているかのように振る舞うと仮定したモデルは、抵抗性遺伝子がこのようなまれな優性遺伝子である(ヘテロ接合の状態で効果をあらわす)状況では十分に集団の状態を記述することができると考えられます。実際に、そのような状況では、他のモデルととても良い一致が示されています。
もちろん、私がこれまで追い求めてきた上述のモデルがベストであると考えているわけでは必ずしもありません。実際に、上で述べた条件(まれな遺伝子であること、そして、ヘテロ接合体のときに効果をあらわすこと)から離れるほど精度は落ちていくわけなので、モデルの利点と欠点を踏まえたうえで、いくつかのモデルで得られた結果に基づいて結論を導き出すことが大事なのだろうと思います。私は、この集団モデルを用いた研究では、3つの集団モデルを用いて結果の比較を行っています。例えば、論文を却下されてから改めて分析したときに用いた、エジンバラでお世話になっていた教授が構築された近似モデルは、もともとの厳密なモデルととても良く一致した結果を与えていました。なので、先生の近似モデルは、とても精度の高い集団モデルであったと結論できると思います(つまり、以前発表した論文で行った分析は、妥当な結論を導き出せていることが確認できると思います)。もちろん、キイロショウジョウバエの産仔生産力などといった適応度形質について、実際に実験や観察で得られた値を用いて集団モデルを構築しようとする場合に、適応度として用いる実験値や観察値には通常大きな変異が含まれるものなのでしょうから、近似の精度をいくら追及したとしても限界があると思います。なので、まあ、私が追い求めてきた集団モデルを含めて、それぞれのモデルには良い点も悪い点もあると思いますが、良い点を重視するのか、あるいは欠点を重視するのか、それは多分、研究者の世界観によるところなのだろうと思います。でも、こんな簡単な集団モデルで、あのような複雑な生物学的現象を記述することができること自体、とても興味深いことであると私は思いますし、こんな興味深い知見に出会うことができて、勉強を続けてきて良かったなあと思っています。私が現在取り組んでいる高齢者介護の進化遺伝学的研究においても、実際に用いている集団モデルであり、私の世界観を構成している重要な1つのピースであると考えています。
まれな突然変異が生じたときに、その対立遺伝子が他の対立遺伝子で占有されている集団の中でどのように振る舞うかに関する集団モデル。拙著『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』の図3-2より抜粋。
いくつかの集団モデルの間で推定値を比較したグラフ。私がここで問題としてきた集団モデルは、適応度に及ぼす有害な効果に関して、まれな優性遺伝子の場合には特に、他のモデルととても良い一致を示しました。
ここでの議論は、拙著『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』(Amazon Kindle版電子書籍として発売中)の中でも詳述されています。もし興味がございましたら、ぜひ覗いて見てください。 三代