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私の研究に対する批判に対して(1)論文の中での批判

私の研究に対する批判に対して

 

論文の中での批判

 私はこれまで、主に筑波大学大学院時代に行ってきた実験の結果をもとに論文を書いてきました。私がここまでに書いてきた殺虫剤抵抗性に関する論文は、11本になります。論文というのは、通常は、雑誌に投稿したときに、23人の査読者(レフェリー)に原稿が回されて、批判的に検討が加えられます。最終的には、レフェリーの評価をもとに、編集者の判断によって受理か否かが決定されます。私のこれまでの論文では、2人のレフェリーのうち、1人はそれなりに私の研究を評価してくれて、例えば拙い英語を改善するように指摘されたりする程度でOKを出してくれる場合が多かったように思いますが、しかしもう1人のレフェリーからはたいてい、これでもかというくらいに批判をされることがたびたびありました。なんだかものすごくヒステリックな批判で、こんな言葉を公式的な文書のなかで使うのかと驚いたことがあります。レフェリーは通常は匿名なので、自分が誰だかわからないからということで、ものすごい言葉を使うのでしょうが、批判される側にしてみれば、なんだかとてもやるせなくなってしまいます。最終的には編集者の判断で、21の僅差で何とか受理まで漕ぎつけるのですが、レフェリーが2人とも諸手を挙げて受け入れてくれるというようなことは、これまで一度もなかったと思います。確かに、私の研究を批判する人は多いのだろうとは思いますが、その一方で、私の研究を陰ながら支持してくれる研究者がいたことも事実だろうと思いますので、私の研究に対する辛辣な批判にひるむこともあるでしょうが、それでも、少なくとも支持してくれる人もいたことは忘れてはいけないと思っています。

 

 前節の、DDT抵抗性に関する論文で、私が筑波大学時代に行ってきた研究の中でまとめていなかった結果はすべて論文にしたと思っていました。もう殺虫剤抵抗性については発表することもないと思い、先に述べました、高齢者介護の進化遺伝学的な研究、考察のため、祖母の介護を手伝い、また、生活費を捻出するために、さらに高齢者介護施設で介護職員のアルバイトなどをしながら、研究や勉強を続けていました。そんななか、どういういきさつで目にするようになったのかは、もうはっきりとは覚えていないのですが、私がエジンバラに滞在していた時に発表した、抵抗性と感受性の染色体置換系統の間で内的自然増加率を比較した、2003年に発表した論文が批判されている論文を目にしたのでした。私の研究を本文の中で批判していたこの論文は、2011年に昆虫学系の雑誌に発表されたものであり、私がこの論文に気が付いたのは、2016年の終わりごろでした。その論文が発表されてから、すでに5年が経過していました。

 

 私が2003年に発表した論文が、2011年に発表されていた論文の中で批判されており、それをその5年後の2016年の年末に私が気付いたわけです。私の研究が批判されているという事実に、どうしたものかとモヤモヤ考えていたのですが、もし批判されたとしても、私が正しいと思うことを行ってきたのであれば、その批判に対して反論するのは研究者としての責務であると思うので、やはり、その論文の著者にコンタクトを取ってみることにしました。あなたの批判は見当違いであると認めさせなければなりません。一戦する覚悟を決めて、インターネットで著者を検索して、現在どこで勤務しているのかをつきとめ、著者にメールを送り、その論文のPDFを送ってもらうように要請しました。相手はどうも、統計学を専門としているようで、日本でも研究していたことがあったようなのですが、私がコンタクトを取ったときには、ドイツで研究職に就いていたようです。まあ、個人攻撃をすることが目的ではないですし、論文を書いている以上、本人の名前だけでなく、私を含めた当事者の名前も公に出ていることなので、一応、一般的に入手できる情報のみ、ここでは触れておくことにします。