彼らの批判と私の反論
何よりも私が解せなかったことは、彼らは2003年に発表した私の論文に対して攻撃を仕掛けてきたわけですが、これまで延々と述べてきたように、私はこの2003年の論文を発表した後も、彼らが論文を発表する2011年までの間に、さらにいくつかの論文を発表していたので、彼らがなぜ2003年の論文をわざわざ持ち出して批判してきたのか、さっぱりわかりませんでした。彼らは私のその後の論文を読んでなどいなかったのでしょうから、もし個人的に尋ねてきてくれていれば、あとに発表した論文を読んでみてくれといえたのだろうと思います。それでも、集団遺伝学と集団生態学との間のとても重要な問題であると思うポイントもあるので、一応、彼らが私の研究について、何を批判していたのかについて、以下で手短に考えていきたいと思います。
私の2003年の論文について、いくつか批判されていたのですが、もっとも大きな批判は、私が実験の結果から導出した内的自然増加率が、1組の雄と雌の成虫ごとに得られたものだということに対するものだったと思います。つまり、彼らが主張するところでは、内的自然増加率というものは集団のパラメーター(彼らの言葉を引用)であり、個体に対してではなく、集団に対して適用されるものだということでした。そこで、この批判に対して、私は以下のような反論を用意し、それを批判してくれた彼らにメールで送ったのでした。実際には英語でのやり取りだったのですが、こちらの主張を以下にまとめておきたいと思います。内的自然増加率を個体(遺伝子型)のレベルで適用することの妥当性を主張するものです。
第一に、エジンバラでお世話になっていた先生によって議論されているのですが、集団遺伝学モデルは、Euler-Lotka式の実数解として定義される内的自然増加率rijが、多くの状況のもとで、集団が密度の制約なく増加できる密度非依存的な条件のもとでの、2倍体遺伝子型ijについての適切な適応度の尺度であることが示されています。適応度というものは、グループ選択や集団選択を考えているのでなければ、通常は個体に対して定義されるものです。もちろん、利他的な行動のような形質については、グループ選択理論は、あるいは適切である場合もあるかもしれないのですが、しかしキイロショウジョウバエの自然集団内における殺虫剤抵抗性の遺伝子型については、グループ選択がはたらいていると仮定することが妥当であると考える人は恐らくいないだろうと思います。なので、一般的に受け入れられているように、適応度は個体に対して定義される(自然選択が個体のレベルではたらいていると仮定する)べきであるということを受け入れることができるならば、遺伝子型(個体)のレベルで内的自然増加率を測定しようという私たちの試みは、むしろ極めて合理的なアプローチであると言えるのではないかと思います。
二つ目として、内的自然増加率が密度非依存的な条件のもとで適切な遺伝子型の適応度の尺度であることを受け入れ、実際に遺伝子型の内的自然増加率を測定しようとしているとします。私たちが実験室において、密度による制約なく集団が増加できる密度非依存的な条件を構築しようとしているならば、キイロショウジョウバエのような高い繁殖能力を持つ生物集団では、小さな集団サイズから始めなければならないことは、容易にご理解いただけるのではないかと思います。その中で、密度非依存性を保証する最も手っ取り早く、しかも可能な最も確実な方法は、ホモ接合体のような既知の遺伝子型の単一の雄と雌のペアで集団を始めることだろうと私は考えました。内的自然増加率を得るために、より大きな集団サイズから実験集団をスタートしてしまったとすると、キイロショウジョウバエのように繁殖能力の高い生物集団の場合には、集団増加に及ぼす高密度の制約を含む密度依存性のような混同要因が入り込んでしまう可能性があり、集団の増加過程ではたらいているはずの密度非依存的な条件下における内的自然増加率の推定値に、より多くの誤差が入り込んでしまう可能性がでてきてしまうことになります。
第三に、集団が遺伝的に不均一であり、遺伝子型の間で内的自然増加率に変異がある場合、集団全体についての内的自然増加率は時間とともに変化してしまうだろうと考えられます。なぜならば、集団の遺伝的構成は不均一であるために、遺伝子型の間で自然選択が働き、集団内の遺伝子型の頻度は時間とともに変化してしまうと考えられるためです。言い換えると、彼らが主張するように、集団全体の内的自然増加率を測定するとはいっても、集団全体の内的自然増加率というものは、結局は、集団に含まれている遺伝子型の頻度と、含まれている遺伝子型についてそれぞれ定義される内的自然増加率に依存することになるわけです。なので、集団全体で測定されるべきだといっても、集団遺伝学的な側面に注目している私たちの研究の観点からは、内的自然増加率は、最終的には遺伝子型(個体)のレベルで定義される必要があることになります。
結局、内的自然増加率を集団全体の値として測定しなければならないという彼らの主張を吟味してみると、集団が増大していく過程ではたらいている自然選択の作用が、集団の遺伝的な構成にどのように影響を与えるかという私たちの興味を理解してくれていないと感じました。彼らは、ただ、密度依存的な影響ですとか、集団内の遺伝的な構成のことなどを顧みることなく、集団の間で内的自然増加率を比較することこそが必要であると主張しているように思います。彼らには、集団の遺伝的な構成の変化などは、まったく眼中にないのだろうと思いました。つまり、私たちの研究のもっとも“売り”としているところを見てくれていないのですから、要は、彼らは私たちの研究に興味がないのでしょうし、議論の余地はないのだろうと思いました。これらのことは、論文の中で議論されていることなので、恐らく彼らは、本文を読むことなく批判していたのではないかと思います。なので、一応、彼らとのメールでのやり取りはここまでとし、彼らの同意を得たうえで、ちょっと長めの反論ペーパーを書くことにして、評価を読者に委ねることにしました。投稿する前に、彼らにも原稿に目を通してもらい、一応コメントをもらっています。もちろん、論文を読んでくれてなどいないのでしょうから、コメントを採用するつもりはまったくありませんでしたが、一応礼儀としてコメントを求めました。