歴史検定(4)
以前にも述べたように、私は歴史検定2級を取るためには、世界史と日本史の両方に合格しなければならないものだと勘違いしていました。なので、かなりの負担感はあったのですが、世界史を一から勉強し、なおかつ日本史についてもそれなりに勉強しなければなりませんでした。実を申し上げますと、2、3年前に、歴史検定の準3級(日本史のみ)を受験し、幸い合格していたので、日本史については、まあなんとかなるかなあと正直思っていました。しかし世界史の準備で結構手間取ってしまい、なおかつ日本史についてもまあなんとかなるだろうという甘い見通しを持っていたものですから、結局日本史の準備を始めたのが、試験の2ヶ月前という有様でした。歴史検定2級の過去問を見ていただけるとおわかりいただけるだろうと思うのですが、これが結構難しいのです。これはまずいと思い、正直焦りました。大学入試の時、文系で、しかも日本史を取っていたならば、なんとかなっていたのだろうと思いますが、私は理系でしたし、一応共通一次試験では日本史を取りましたが、それももうすでに35年近く前のことですので、正直、私の日本史の知識も、ほとんどまっさらな状態と言ってよかったと思います。世界史と同じように、日本史についても一から勉強しなおさなければならないことに、試験の2か月前に気が付いたのでした。
小学校の低学年から日本の歴史に興味を持っていた私は、母親の実家が鎌倉に近かったこともあり、母親の実家に遊びにいったときに、母親に連れられてよく鎌倉を案内してもらいました。実際に鶴岡八幡宮を訪れて、鎌倉幕府3代将軍源実朝が公暁に暗殺されたときに、公暁が隠れていたという大イチョウをみて、日本の歴史により一層興味を持つようになったと思います。やはり、幼い頃に母親に鎌倉に連れていってもらった影響だったのだろうと思いますが、小学生だった当時、鎌倉時代や南北朝時代に夢中になっていました。特に夢中になったのが、大塔宮鎌倉宮に祀られている護良親王でした。楠木正成などの武将とともに鎌倉倒幕に活躍された、後醍醐天皇の皇子です。現在では、モリヨシと呼ばれているようですが、私が出会ったときにはモリナガ親王と呼ばれていました。このサイトのURLでmorinaga-oujiを使用させていただいていますが、これは、私が幼い頃から憧れていた護良親王から頂戴させていただいたものです。時々鎌倉を訪れますが、そのときには鎌倉宮や護良親王陵をお参りさせて頂いています。