『登龍門』(岡本好古著)
最近、ある本を再び読みたくなって、本棚を探していたところ、なかなか見つからず、どこにいってしまったか、家中探し回っていました。情けないことに、本や論文などがどこにいってしまったかわからなくなってしまって、段ボールを引っ張り出して中身をあたりにブチまけるといったことはよくあることなのですが、この本は、高校時代にお世話になっていた漢文の先生から拝借し、今だに返却することができずにいた本だったので、さすがにこれは困ったことになったと思い、冷や汗をかきながら探し回ったのでした。結局、何年か前に、いい本だからぜひ読んでみてほしいと思い、姪に渡していたのですが、そのことをすっかりと忘れてしまっていました。こんなことが多くて、情けなくなります。
私が、高校を中退するか、通い続けるかでなかなか決心がつかなかったときに、すでに退職されていた、高校のときの漢文の先生に相談したことについては、以前のブログにも記述した通りです。この本は、そのときに先生から貸していただいた本でした。つまり、今から35年近く前に、私がまだ高校生だったときにお借りした本だったのです。相談にのっていただいた先生とは、その後何度か連絡したもののつながらず、結局音信が途絶えてしまったのでした。
最終的に、私は高校を中退することにしたのですが、辞めたばかりの頃は、どういうわけか、なかなかお借りした本を読む気にはなれず、大学進学後も下宿先に持っていっていたものの、本棚でずっと眠ったままでした。でもどういうわけか、2008年に台湾から帰国し、次の仕事を見つけることができず、いろいろと思い悩んでいた中でこの本を読んだのです。先生から本をお借りしてから20年近く経っていました。でも、とてもよかったのです。読んでいて涙が出るほど感動しました。多分、先生からお借りした高校生だった当時に読んだのでは、ここまで心に響かなかったのではないかと思います。また改めて、最近この本を読み直してみました。以前読んだ時から、すでに10年近く過ぎていたのですが、また、世界史を少し勉強したことで、本の中で描かれている背景(中国史や科挙の制度など)や登場人物について、多少知識がついたこともあり、また違った感慨を得ることができました。
人との出会いや繋がりも不思議なものだなあと思うことは多々あるのですが、本との出会いもまた不思議なものを感じます。読むべきときに巡り会うようにできているのかもしれません。今だに返却できず心苦しい限りなのですが、これも先生との出会いの賜物だったのだろうと思います。